がん闘病中のAV男優・沢木和也
男優人生33年――。ある世代の男性なら誰でも知っている男が病を告白した。ステージ4のがんだという。
男は90年代前半に「ナンパ」という日常の延長線上にある、男女の駆け引きを上手くAVに持ち込み、その甘いマスクと巧みな話術で女をメロメロにさせ、世の男たちを興奮させた。
男の名は沢木和也。伝説のAV男優が今、がんと闘っている。
沢木は「ひとり息子に何か遺してやりたい」という。その切実なる想いを聞きつけ、病魔と闘いながら今なお現場に立つ男のもとに向かった。
沢木和也…
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沢木和也インタビュー
――これまで33年間のAV男優人生を振り返って、若手の頃に先輩や関係者に言われて覚えている言葉はありますか?
沢木和也(以下、沢木):これはいままででいちばん難しい質問だなあ(笑)。全然、関係ないかもしれないけど、覚えているのは「この世界で食っていけますかね?」って監督に聞いたら、「食っていけるんじゃないか」って言われ、「どのくらい稼げますか?」ってさらに聞いたら、「いま稼いでいる人は月に100万くらい稼いでいるよ」って言われたんです。それくらいのことしか思い出せないないけど(笑)。
――当時、AV監督にどうしてその質問をしたんですか?
沢木:この世界に入っても食っていけるかどうか心配じゃないですか。それと当時(80年代後半)の男優の現状を聞きたかったんです。どんな人がどのくらい稼いでいるか。そうしたら、トップは80から100万とかって話だったから、20日働けば100万だから、そのくらいいくんじゃないのって言われて、ちょっと続けてみようと思ったんです。僕は当時、もうちょっとギャラは安かったけど。
――その監督は沢木さんのどこを見て、そのくらいのギャラを稼げるって言ったんでしょうか?
沢木:「この子は普通だし、普通にいけるんじゃない」って思ったんでしょうね。バカじゃないし、チンポもでかいし、そういうトータルなところを見たんじゃないかな。本当にバカっているじゃないですか(笑)。
――沢木さんは「バカ」に見えなかったということですね。
沢木:普通に見えたんじゃないですかね。
――そこがよかったんですね。
沢木:こういう業界だから、かなり特殊な人もいますからね(笑)。
――80年代後半は男優さんって何人くらいいましたか?
沢木:思い浮かぶだけで20人とか30人くらいかな。
――当時、名前がある男優さんだと、沢木さん、加藤鷹さん、チョコボール向井さん、ターザン八木さん、マグナム北斗さんって少ないですよね。
沢木:あと平本(一穂)さんとかね。
――平本さんはいまAVメーカーをやっています。
沢木:辞めちゃった人も多いですから。
――やはり33年間、ずっとアダルト業界にいるのはすごいことです。
沢木:ははは(笑)。他にやれることがないからですよ(笑)。
――どんな世界でも成功する人は成功しますよ。
沢木:あと、覚えているのは正常位のときに、自分の手が女優の体にかぶるじゃないですか、その手がカメラマンの邪魔だったみたいで思い切りはたかれました。
――技術スタッフは怖いですからね。
沢木:そう、そう。昔の人はすごかったから。そういうので勉強しました。
――当時の男優さんは完全に黒子に徹するスタイルですよね。
沢木:そうです。それがどんどんわざとらしくなって、エロくなってくるんです。
――沢木さん自身は後輩に教えることはありましたか?
沢木:それはありました。例えば乱交の撮影のときに、監督がひとりの男優に仕切りを任せているのにそれができないと僕があとで思い切り怒りました(笑)。
――教育ですね。
沢木:監督が指示しているのに、頭から違うことをやる奴とかもいるんです。それが1対1のカラミなら勝手にやってくれって話ですけど、複数のカラミだと連携だからちゃんとやれよって(笑)。こっちも段取りして、頭で考えてやっているわけじゃないですか。
――他に後輩にアドバイスすることもあったんですか?
沢木:あとは潮吹きかな。「潮吹きはどうやると出るんですか?」って聞かれたとき、「指を突っ込んでがしゃがしゃやれば出るんだよ」って教えました(笑)。
――昔の撮影現場が目に浮かびます。今日も撮影のようですが、体力的には問題ないんですか?
沢木:まあ、大丈夫です。少し声が出づらいけど(笑)。声を出す弁がリンパ腺のがんに押されて動かないんですよ。片方だけ弁が固まっちゃったみたいで、これ以上、声が出なくなってしまったんです。
――現在、がんは何か所ですか?
沢木:分かっているだけで7か所です。元は食道と咽頭です。
――発覚したときにステージはすでに4だったとか?
沢木:見つかったときはそうだけど、だいぶ、なくなっているんで、いまはステージ4じゃないと思います。放射線治療がすごく効いて原発巣だけは見えないくらいなくなったんです。ただ、転移があるから何とも言えない。
――最初、なにか違和感があったんですか?
沢木:水やうどんが引っ掛かるとか、でも、そういうことってあることじゃないですか。だからまったく気にしていなかったです。
――発覚後に書籍のクラウドファンディングを立ち上げたのは、ご自身の生きた証を遺したというのがいちばんの目的ですか?
沢木:昔、ナンパの本を出したんですよ。そのとき、5、6回ライターと話をしただけなのに200万円くらいの原稿料になったんです。それを思い出して後輩にしたらいろいろ段取りしてくれて、それで彩図社から出せるようになったんです。
――あと、川上ゆうさんや風間ゆみさんもいろいろと協力してくれたようですが?
沢木:治療費のためにツイキャスをやってくれました。
――素晴らしいですね。
沢木:それは魁監督が段取りしてくれて、やってくれたんです。あと(ポルノスターの)Maricaちゃんからも突然、「なにかしたい」ってダイレクトメッセージがきてTシャツ販売の段取りをしてくれました。
――いろんな方が協力してくれるのは沢木さんの人柄ですね。
沢木:いや、いや、いや(笑)。
――人望ですよ。しかもアダルト界では重鎮の方ばかりです。
沢木:本当に助かっています。
――その本の中身は「笑える内容にしたい」っておっしゃっていましたが?
沢木:暗い内容にはしたくないし、僕がやってきたことはおかしなことが多かったから普通に話せば普通に笑える内容になるかなって。
――息子さんに対する思いも強いということでして、自叙伝を遺したい思いもありますか?
沢木:いま中学3年生なんですけど、高校を卒業するまでは生きたいですよね。
――その先、成人後も見守りたいですよね。やはり、ひとり息子ということで気になりますか?
沢木:気になりますね。よくないって分かりながらも、なんでもやってあげているから(笑)。遅い子供だったし、娘だったらもっと大変だったかもしれない。僕みたいな悪い奴が寄ってこないかって(笑)。
――息子さんは沢木さんに似てイケメンですか?
沢木:かっこいいですよ。頭悪いので、外見とチンポでカバーするしかないんです(笑)。チンポもでかいんですよ(笑)。
――遺伝ですか?
沢木:遺伝するみたいですよ。僕の父親もデカいんで。
――素晴らしい家系ですね。息子さんは野球をやられているようですが?
沢木:そう、高校野球をしているところを観たい。
――その先もずっと観ていてほしいです。話はAVに戻りますが、ナンパモノと言えば沢木さんですが、80年代はナンパ自体が文化みたいな時代でしたよね。
沢木:そうですね。
――いまは文化としてなくなったように思います。どうしてなくなったと思いますか?
沢木:やっぱりこれじゃないですか(と言ってスマートフォンを指す)。ネット社会になったから簡単に出会えちゃうからね。
――なるほど。そういうことですか。マッチングアプリなども手段を変えたナンパですからね。
沢木:そう、そう。
――ナンパもデジタル化されているわけですが、AVもVHS、DVD、ネット配信と変わってきました。メディアが変わると仕事の内容も変わりましたか?
沢木:仕事の内容は大変になりました。昔の『宇宙企画』とかは30分くらいでしたし、撮影も3日撮りで余裕があったんです。いまは120分以上の作品を1日撮りで、しかもカラミを2本撮ったりしますから男優は大変です。
――いまは物理的、体力的に大変な時代になりました。33年間の男優人生で思い出に残っている作品はありますか?
沢木:自分のナンパ作品はもちろん思い出に残っているんですけど、デビュー2本目に出演した『アテナ映像』の目隠しファックという作品で、加藤(鷹)さんたちと5Pをやったことをよく覚えています。
そのときの女優がものすごく不細工でアソコも緩かったんです(笑)。でも、加藤さんはビンビンだったんですよ(笑)。あとで分かったんですけど、加藤さんはブス専なんですよ。ニコニコしながらやっているから、この人、絶対ヘンタイだって思いました(笑)。
――すごい話ですね(笑)。沢木さんはどういうタイプの女性が好きですか?
沢木:仕事では本気でセックスをしようと思ってくれる人だったら、多少好みでなくても、そっちの方がいいです。
――それこそ、セックスをやりに来ているような女の子もいましたか?
沢木:いましたね。
――そうなるとお互い燃えますか?
沢木:はい。仕事もしやすいし、エロいカラミも撮れます。いまはいろんな意味でビジネス的だから面白くもなんともないです。
――ナンパ作品はロケ撮影が多いので、警察やその筋の人物とのトラブルはありましたか?
沢木:女性に声をかけて撮影したんですけど、ちょっと撮られたっていうことだけで110番に電話されて新宿警察に連れていかれましたね。
――それだけで通報する人もいるんですか?
沢木:います、います。あと、タイで撮影した作品は国際問題までなりました。日本で観た人がタイの女性国会議員に通報したかなにかでタイで問題になって外務省を通じてクレームが入ったんです。それで作品回収になったんです。一般紙に僕の名前が載りましたね。
――それはタイでAVを撮影してけしからんというクレームですか?
沢木:そうです。あとは沖縄の高級ホテルで案内係の女の子を撮っていたら、その制服とプールにあったホテルのロゴで場所が特定されて問題になって裁判になったんです。結局、200万円の支払いを命じられてメーカーと折半しました。
――無断撮影が問題なんですか?
沢木:そうです。でも、こっちからしたらビデ倫が通さなければよかったのにって思いましたよ。
――審査を通っているんだから、ビデ倫も責任があると。
沢木:そう、そう。
――エピソードが山のように出てきますね。強面系のトラブルはありましたか? 新宿、渋谷は当時、その筋がうるさかったですから。
沢木:当時は基本的にそっち系の方には許可をもらっていたんです。ただ内容的に歌舞伎町だったら、こういうことがあったら面白いだろうなっていうことで、歩いていたヤクザにわざと絡んでくれとお願いしたことはあります(笑)。
――リアリティがあっていいですね(笑)。
沢木:ヤクザにホテルまでついてきてもらって、「ちょっと撮影したものを見せろ!」っていう演出をしたことはあります。
――迫真の演技ですね!
沢木:しかも、金属バットを持ちながらしゃべっているんですよ。
――いまだとできない演出です。
沢木:できないですよ(笑)。