改称、法改正、伝染病に翻弄された時代 ~ニッポンの風俗史#11~

トルコ風呂問題を解決したあの女傑


 昭和59年(1984)、サンジャクリ氏は風俗店で「トルコ」の名前を使わないで欲しいと訴え、それがニュースとなってある者の耳に届いた。それが現東京都知事であり、当時テレビキャスターをしていた小池百合子だった。

 小池百合子は一時話題になったようにカイロ大学を卒業しており、アラブ圏の事情に関しては造詣が深い。サンジャクリ氏の訴えを聞くとすぐさま戦略を練った。

 当時すでに1707軒になっていたトルコ風呂にいちいち連絡するのでは埒が明かない。そこで、公衆浴場を管轄する厚生省(当時)と、「トルコ風呂」の項目でイエローページに堂々と掲載していた電電公社(当時)に申し立てをした。その上で、トルコ風呂業界に事情を説明し、「トルコ風呂」という名前の改称を嘆願して回ったのだった。

 演出も巧妙だった。小池氏は渡部恒三厚生大臣(当時)にアポを取ると同時に、記者クラブにも連絡した。つまり、テレビカメラの前でサンジャクリ氏直筆の日本語の「陳情書」を掲げて陳情したのだ。

 厚相の言葉はお決まりのものだったが、テレビの効果は予想以上に高く、東京都特殊浴場協会は自主的に名称を変更することを伝えたのだった。

 気になるのは新しい名前だが、東京都特殊浴場協会は、「トルコ風呂」に代わる新たな名前を、なんと公募で決めることにした。

 今であれば、『この度、「デリヘル」を別の名前にすることになったので、新しい名前を募集します』ということ。

 「はぁ? 勝手に決めろや」と思われがちだが、当時の「トルコ風呂」がいかに民衆に浸透していたかが伺える事例といえよう。

 公募の結果、「ロマン風呂」や「浮世風呂」「ラブユ」など、2400ほどの応募が集まり、その中で選ばれたのが「ソープランド」だった。そして驚くことに、陳情と同じく、新名称の発表も記者会見されることになり、会場の赤坂プリンスホテル(当時)からテレビ中継で全国のお茶の間に、風俗業の名称変更が放送された。

 会見には在日トルコ大使館の参事官も出席。東京の業者だけでなく、全国のトルコ風呂業者もこれにならって「ソープランド」と名称を改めた。小池百合子の戦略が勝利した瞬間だった。

 これは筆者の想像にすぎないが、小池百合子は新名称発表の記者会見までは考えていなかったのではないだろうか。テレビで公にダメ出しされてしまった業界側が、それならば新名称の発表もテレビ中継して、「トルコ風呂」から「ソープランド」に変わりましたと告知しないと客離れにつながると予想しての”広告”だったのではないだろうか。小池百合子の戦略も当たったが、業界側も海千山千というところだ。

 この記者会見は、筆者もテレビのニュース番組で見た覚えがある。後日、友人と吉原に繰り出す際も、「どこだかにあった『ソープランド』って名前のトルコ風呂が、逆に『トルコ』って名前のソープランドにしたんだってさ」などという友人の噂話に、笑いながらワクワク気分でクルマを走らせた記憶がある。

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