改称、法改正、伝染病に翻弄された時代 ~ニッポンの風俗史#11~

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チラリからモロ、そして発射の時代へ


 昭和58年(1983)、日本に夢の国『東京ディズニーランド』が開園し、自宅でインベーダーゲームが楽しめる『ファミリーコンピューター』が発売され、新時代のレジャーが登場した頃、風俗も新しい時代を迎えていた。

 チラリズムを楽しむはずだったノーパン喫茶がブームになると、多くのお店が「チラリズム」からは程遠い、ほぼ丸裸で客の前で腰振りダンスをする風俗店に変貌していった。

 過激さが頂点を迎えるとブームは去り、今度は好みの女の子を指名して別室で手コキをしてもらえるニュータイプのノーパン喫茶が登場した。第二次ノーパン喫茶ブームである。そこに降臨したのが元祖フードル『イヴ』だった。

 イヴの登場は、それまでネガティブなイメージが多かった風俗の世界に若くてカワイイ女の子が自らの意思で飛び込んだことで、風俗ワーカーとなる女性たちの意識と価値観を変えた。

 それと同時に、見て楽しむノーパン喫茶時代から、ヌイて楽しむノーパン喫茶ブームが巻き起こった。それは、”喫茶店”からは遠く離れた「ファッションヘルス」時代の到来を告げていた。

 さらに、公然とテレビ番組や雑誌に出ては会員制売春クラブを広告する美女が話題となったり、のぞき部屋やマントルなど新しい風俗が登場。歓楽街を中心に扇情的な看板やネオンが瞬く浮世の時代となっていた。

 

トルコにはないトルコ風呂


 その頃、あるトルコ人留学生によるトルコ風呂への直訴が話題になりつつあった。トルコ人留学生のヌスレット・サンジャクリ氏は、母国の名前を性風俗店で使われることに心痛めていたのだ。

 大好きな日本で勉学を積み重ねていたサンジャクリ氏は、「トルコ出身」と言う度に、薄笑いを浮かべる日本人に対して違和感を感じていた。

 ある日、新宿で見つけた「トルコ」という看板の店に親近感を感じて入店してみると、そこは母国のトルコとは全く異なる風俗店だったことから、ようやく人々の薄笑いの意味を理解したのだった。

 そもそも日本におけるトルコ風呂は、本項でも書いたように、銀座で開業した『東京温泉』が第1号店である。その東京温泉は、トルコで「ハマム」と呼ばれる、身体を洗ってくれたりマッサージをしてくれたりするリラクゼーション付きの風呂を再現したものだった。

 このトルコ風呂が人気となって全国に広まる中で、ミス・トルコと呼ばれる女性がサービスで手コキなどを始めた。そのことからどんどん過激なサービスに向かっていったのである。

 その女性が悪いというわけではなく、個室で全裸の男性と半裸の女性がいれば、そうなるのは火を見るより明らか。失策があるとするなら、男風呂に女性のマッサージ師を入れてしまったことだろう。本家トルコ風呂のハマムは、男風呂には男のマッサージ師しかいない。

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