美咲かんなエッセイ:ふしだらな気持ち「愛とはなんぞや」

 美しい花には棘がある――。誰もが備える多面性を表現したこの言葉。特に男を惑わす美女には危険な一面がある、という男の自戒的な意味を表しているわけだが…。勝手に舞い上がって棘が刺さってしまうのは男のせいとも言える。美女には美女の悩みがあるものだ。AV女優・美咲かんなも悩み多き美女のようで…。美しくもどこか陰のある彼女が、素直な気持ちをふしだらに綴る。

 

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美咲かんな

 

美咲かんなエッセイ:ふしだらな気持ち「愛とはなんぞや」

 気温が30度を超える日も多くなった東京は、いよいよ夏本番という雰囲気である。外出自粛もまだ心掛けてはいるが、仕事で外に出る機会は増えた。

 プライベートでは家族で出かけることがほとんどで車移動も多いが、時間の管理と駐車場に困らないという理由から仕事や用事で動く場合は公共交通機関を主に利用する。以前は環境問題の観点からか「公共交通機関を使いましょう」という呼びかけをよく耳にした気がするが、最近は感染症対策もあって、真逆の風潮である。

 人との関りやパーソナルスペースを侵害されることを苦手とする私にとって公共交通機関を使うことは少しハードルが高く、利用する場合はピリピリと神経を使ってしまう。周りに迷惑をかけないというのは大前提だが、様子がおかしい人が近くにいないか、困っている人がいないかと周りを気にするのも公共の場では重要なチェックポイントではないか。

 席に腰を掛ける場合はシートやその下に変なものが存在していないか、濡れている風はないか、隣に迷惑をかけずにスムーズに座れるかなどひとつひとつ確認しなくてはならないが、これを細かく書いていたらおそらく2000字は超えてくると思うので、割愛しよう。

 先日たまたま利用したバスにはベビーカーに赤ん坊を乗せた母親がいた。はじめは静かだった赤ん坊は次第にぐずりだし、鳴き声が車内に響くほどになった。これは仕方のないことだし、責める人はもちろんいない。悪いことではないとわかっていても母親の立場としては肩身が狭いだろうなと後ろの席から見守っていた。

 しばらくすると途中のバス停で乗ってきた婦人が、赤ん坊とその母親に声をかけた。特別労りの言葉をかけているような内容は聞こえなかったが、笑顔と肯定的な雰囲気でその場の空気が和んだように感じた。きっとこの婦人も誰かの母親なのだろう。

 赤ん坊は降りるまでほとんど泣き止まなかったけれど、そのスリーショットと母親が重たそうにベビーカーを持ち上げて降りていく姿が頭から離れない。こういう場面を見かけると、頭の中で色々考えてしまう。

 母親というのは近くて遠い存在だ。

 もちろん私も母親から産まれたわけだが、自分が同じように子供を産んで育てるというのは想像ができない。職業柄妊娠などに関しても正直言及しづらく、深く語れる立場にはいないと思っているのでここではあまり触れないでおくが、誰かを愛して子を宿し、産み育てるというのはかなりすごいことではないか。

 世の中の母親を見るたびにそう簡単なことではないぞ…と尊敬する。美化しているといわれてしまうかもしれないが、愛情でカバーできる部分がないと責任ばかりが重たすぎるように感じる。

 「愛」というと「無償の愛」思い浮かべる人も多いと思うが、ひねくれている私は見返りを求めないとしても「この人のために何かしたい」と勝手に思うこと自体エゴだと感じてしまう。犠牲を払うとか尽くすとか、自分がそうしたいからするのではないかと。

 そうなってくるといよいよ愛というものがわからなくなる。

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