太平洋戦争と朝鮮戦争を生き抜くパンパンたち 〜ニッポンの風俗史・戦後#3〜

インフレでも価値が変わらないのは、ドルとおっぱいだけ


昭和23年(1948)「風俗営業取締法」公布


 終戦から3年経っても日本経済は極度のインフレのまま。毎月4倍から5倍の公共料金の値上げが続いていた。終戦当時、1ドル15円だった相場は、2年後には1ドル50円へ、3年後には150円へ。そして、1ドル270円と改定されたものの、インフレはさらに続き、翌年、ようやく GHQによって1ドル360円で相場が固定された。

 

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※イメージ画像:Getty Imagesより

 

 分かりやすく言うと、昔は15円で買えたチョコレートが、4年後には360円出さないと買えなくなったということ。4年で24倍。つまり、これが「敗戦」ということだと市民は思い知らされた。

 インフレ経済の中、価値の変わらないのはドルと女の体だけ。パンパンなどの売春婦は、全国で15万人に膨れ上がった。カフェーやダンスホールが、売春の温床となっていることを憂慮した政府は、戦後初めての「風俗営業取締法」を公布した。

 最初の「風営法」の骨子は、風俗犯罪を未然に防ぐことが主眼とされ、「接客を行える女性の年齢」や「風俗営業できる場所」、そして売春の温床と考えられていた「ダンスできる店の制限」が主だった。

 その後、30回ほどの改正を経て、現在の「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」に転じていくことになる。

 ちなみに、筆者が感じるニュアンスとしては、「風営法」と呼ぶのは風俗業界側の人間で、取り締まる側は「風適法」と言っているような気がする(笑)。

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