国策で売春婦から街娼になった女たち 〜ニッポンの風俗史・戦後~

8月28日 東京・大森海岸に日本初のRAA『小町園』開業

 

進駐軍の遊び代は公務員の初任給より高かった


 全国で初のRAAが開業したのは、東京と横浜の間にあり、国道があることから交通にも便利な大森海岸の『小町園』が選ばれた。終戦から2週間足らず、連合軍が進駐してくる3日前のことだった。

 これほど性急にRAAが開業されたことを鑑みると、政府はそれほどまでに女性に対する逼迫した危機感を感じていたことがうかがわれる。それは同時に、自分たちがアジア諸国に進駐した際に行なった行為の裏返しでもある。実際、RAAはあっても、進駐軍兵士による女性暴行事件は少なくなかった。

 RAAで働く女性たちの労働は、過酷に満ちていた。しかし、夫も家も失った戦争未亡人でなくとも困窮している女性は少なくなく、高額な給料は大いにその助けとなった。

 RAAの料金は1回100円で、当時の日本の公務員の初任給約80円と比較しても非常に高額。その料金を一晩の遊興費として消費できるアメリカと日本の国力の差が伺える。


「日本中が『贅沢は敵だ』『欲しがりません勝つまでは』なんて喧伝してコメも食えずに飢えていたときでも、アメリカさんはホームパーティーをやって肉を食っていた。後になってこんな大国相手に戦争してたのを知って、負けて当然だと思ったよ」


 子供の頃に聞いたご近所のジイさんの言葉が思い出される。

 ちなみに戦前、戦中時、日本国内にあった風俗は遊郭が主で、遊び代は1回5円程度。戦後は、外国人の場合は吉原遊郭が1回20円、新宿遊郭(現在の新宿2丁目付近)は30円だった。

 

国策で売春婦から街娼になった女たち 〜ニッポンの風俗史・戦後~の画像4
大森海岸駅近くにある少女の像は、当時、近辺にあった複数のRAAで意に反して働かされていた慰安婦たちの慰霊像である

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