水島:発屋は死んだか!? 工業地帯を支えたネオン街 ~ニッポンの裏風俗~ 

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知られていなかった優良発屋の街


 日本列島を北から南に下って行くと、兵庫県を過ぎたあたりから、本サロの呼び方が「一発屋」や「発屋(ぱつや)」に変わる。その代表格が岡山の田町や広島の福山だ。それぞれ、中国地方では有名な「発屋街」だが、平成の中頃まではそれ以外にも地元民には知られた発屋街があった。

 倉敷市水島もそのひとつ。戦中には戦闘機の工場だった埋立地が、戦後に工場やコンビナートとなり、隣接する水島には多くの工員たちの憩いの場となる飲屋街が出来上がった。

 飲み屋街があれば自然とできるのがヌキ屋。発屋はその需要を汲んで出来あがった遊び場だったのだろう。

 倉敷市駅から三菱自工前駅(旅客駅)まで約11キロ10駅と短い水島臨海鉄道の「常盤駅」を降りた週末の夜、駅前からポツポツと伸びる飲み屋街のネオンが見えたのは、平成17年(2005年)のことだった。

 

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 高架鉄道の駅を降りて、ネオンの広がる方に路地を歩き出す。ネオンの多くは飲食店の看板だが、食堂やレストランは少ない。普通の商店街はもう少し先の水島商店街通りだが、夜の帳が降りきった時間帯だったせいかシャッターの閉まった店が多く、酔客に客引きと、飲み屋街の方がダンゼン賑やかだった。

 

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水島の飲み屋街。狭い路地にスナックの看板が並ぶ

 

 公園なのか緑地帯なのか、大きく囲われた一角の近くを歩いている時、暗がりでひとりのオヤジに声をかけられた。短髪で目つきは鋭く、ひと目で”専門職”とイメージできるくらいのいかつい顔つきだ。


「発屋…」


 こんなネオン街で声をかけて来るのは、ヒットマンではなくポン引きに決まっている。そして、こういった雰囲気のポン引きの多くは得てして言葉少なだ。

 こちらもそれが目的ではあるのだが、最初に声をかけてきたスジのアニキにやすやすとついて行くわけににはいかない。料金などの情報を聞いてその場を離れることにした。

 その夜、声をかけて来た客引きは4、5人。その全てが発屋のポン引きだった。

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