風俗なのに挿入はNG、挿入NGなんだけどOKな店もある? という外国人には理解できない独自の進化を遂げたニッポンの“ガラパゴス風俗”。
その歴史を、平成から令和に変わる“日本人にとって歴史の狭間”となる2019年のゴールデンウィークに振り返る短期集中連載!
<注>※歴史には諸説あり、ここに書かれていることがすべて事実とは限らない。
第9回:被災と復興、デフレの先に見える風俗の未来とは
平成の歴史を振り返る際、誰もが頭に浮かぶのが“災害の時代だったこと”ではないだろうか。
1991年雲仙・普賢岳噴火から始まり、95年には阪神淡路大震災が。2000年代に入ると新潟県中越地震、そして2011年(平成23年)には、原発事故をも引き起こした東日本大震災が起きた。そしてその大災害も、実は風俗と遠からず繋がっていた。
警察白書によると、都内の新たなデリヘルの登録数は、歌舞伎町浄化作戦以降、毎年ほぼ200軒ほどで推移している。震災の2年前は185軒、前年は193軒だったのに対し、震災翌年の届け出数は、一気に倍増して409軒となっている。
これは、東北で被災した人が職を求めて都内に移転してきたものとみて間違いない。風俗という産業が、一時的であるにしろ、被災した人々の生活の支えとなっているという証拠に他ならないのだ。
店が増えれば競争が起きるのは、市場経済の摂理。その後、デリヘルはデフレ経済と相まって、激しい値下げ競争に突入していった。
発端は、池袋に本店のある激安デリヘルだった。この店は、店舗型ヘルスだった当時から30分3900円という激安店だったが、人気が上がるとともに都内各地に支店が開設され、一躍巨大グループに成長していった。
すると、他店のやっかみや、客からも多くのクレームが警察に寄せられるようになり、やがて売春防止法違反での摘発につながった。
激安デリヘルは現在も営業中ではあるが、全体的な数は当時より激減している。これは、庶民にはまったく実感のない景気回復の影響ではなく、30分3900円という料金が、日本経済同様、底をついていたからに他ならない。激安風俗の躍進は、ある意味、デフレ経済の象徴だったのかもしれない。
そして現在、風俗好きにも、そうでない人にも人気なのが、非風俗を謳いつつもグレーゾーンの、通称「ギリギリエステ」だ。