売防法は昭和31年に公布され、2年後の昭和33年3月31日をもって遊郭は廃止となった。東京・吉原では、当時、すでに銀座で開業していたトルコ風呂(当初はマッサージがメインで、性的サービスは限定的だった)に転業する店が現れると、多くの店が追随して「浴場」として当局に営業届けを出し、トルコ風呂に転業、後のトルコ街へとなっていった。第一号店は「東山」だと言われている。
一方、大阪の飛田新地他の遊郭はというと、遊郭から転業したのは主に「料亭」であった。その料亭に勤める女給が、客といっときの恋に落ち、その場でただならぬ関係となってしまったという建前の営業方針に変更し、それ以前と大きく変わらない営業を続けることを可能とした。
これは、現在のソープランドが営業できている理由と同じで、さすがアイディア豊富な大阪商人といえよう。座敷に上がると必ず飲み物とお菓子が出されることや、「飛田新地料理組合」「松島新地料理組合」という名前もそのためである。
(文=松本雷太)