大人のパーティの歴史

 フーゾクというものを眺めてみると、平成という時代とともに生まれ出て、そして消えていった、あるいは変わっていった形態やジャンルは少なくない。

 そのひとつが、裏風俗のひとつに数えられた「大人のパーティ」である。

 マンションの一室で営業する形態で、居間に数名の女性がおり、男性客が指名して2人で別室に移動してプレイする。指名は必ず男性客が行い、女性から誘うことはない。居間にはたいてい、簡単な料理や飲み物などが用意されており、飲食は自由である。

 そのプレイ部屋が特徴的だった。六畳くらいの暗い部屋に布団が3組ほど敷かれていて、その上でプレイするのだが、同時に2組とか3組で同時にプレイすることもあった。部屋には、仕切りも何もない。プレイ中に別の男性客が女性とともに入ってくるのは当たり前で、空いている場所でプレイを始める。当然、すぐ横を見ればプレイの最中。こちらの様子も、相手に丸見え。そういうコアなフーゾクだった。

 東京首都圏とその周辺のみで営業されていた、地域限定のフーゾクである。筆者が調べたところでは、九州などでも営業していた可能性があるものの、メインは首都圏と考えて間違いない。

 その内容は、素人の男女による自由恋愛を建前としていたが、実際には男性はお客というフーゾクとしての営業であり、女性は主催側が手配していた。また、情報源は『夕刊フジ』『内外タイムス』『レジャーニューズ』といった夕刊紙の三行広告のみで、ピンクチラシその他は確認されていない。

 大人のパーティが出現したのは、昭和末期と考えられている。当時は「ビデオ鑑賞会」という名称で、昭和62年(1987)の『内外タイムス』の三行広告には、4~5程度のビデオ鑑賞会の営業が掲載されている。おそらく、これが最初ではないかと思われる。いうまでもなく、内容は記述の通りで、ビデオ鑑賞というのは名目である。

 

1998年頃最盛期の大人のパーティの広告


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