【ニッポンの裏風俗】基地と共に生まれた街、沖縄・真栄原社交街

 その真栄原が風俗好き男子に注目され、人気が出始めたのは90年代に入ってから。さらに、2000年頃になると、店の数も女のコの数も急増していった。

 筆者が知る限り真栄原がもっとも賑やかだったのは、都内の風俗店が摘発で激減している2005年頃だと思う。当時、真栄原には約220軒のちょんの間があったとされている。この数字は、女のコが1軒に1~2人とすると、300人程度の女のコがいたことになる。


 真栄原は、表向きには、店舗を女のコが直接借り上げるカタチになっていた。だから、大阪の飛田新地のように交渉役のおばちゃんがいるわけではなく、女のコと客が直接交渉するシステムで、それが客にウケた理由のひとつだろう。

 遊ぶ前に女のコと直接話ができ、料金やサービスなど、気に入ったコが見つかるまで何人と交渉してもタダ。仮に遊び足りなくても、5000円なら「もう一軒行くか」ということも可能なのだ。

 そんな男性のパラダイスに激震が走ったのは、2009年だった。当時の民主党・鳩山首相により普天間飛行場移設問題がクローズアップされると、沖縄の風俗街に対して女性団体からの総攻撃が始まった。


 つまり、「普天間飛行場のためにできた街なら、普天間飛行場がなくなるなら、それも必要ない」という単純な理由からの反対運動だと筆者は読んだ。筆者が翌年5月に訪れた時、営業している店は20軒ほどに激減していた。

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