墨田区の風俗店
いま、東京のあの区、あの街、あの駅周辺には、どんな風俗があるのか、はたまたなくなってしまったのか…。それを探索するコーナー。今回は、墨田区を探索してみた。
国技館のある両国駅と錦糸町駅は墨田区だけど、亀戸は江東区。都立墨田工業高校があるのは江東区(笑)だけど、東京スカイツリーのある押上は墨田区だ。そう、あの「スカイツリー」のあるあの辺。荒川と隅田川と総武線が作る三角形の内側の区。今回の「風俗23区」は、墨田区だ。まずは、区北部の東向島から南下していくことにしよう。
「東向島」を選んだのは、区の端っこという理由だけではない。確かに今は、下町風情漂う平和な住宅街が横たわっているだけだが、60年前まで「玉の井遊郭」があった場所でもある。
大正初期から始まり、昭和初期には500軒の飲食店に1000人以上の女性がいて、かなりの規模の街だったと推測される「玉の井遊郭」。その跡地を、東向島駅近くにある交番で尋ねてみた。
「この細い路地を入っていくと突き当たるから、それを左に行ったあたりに小さな私娼街があってね。あとは駅の向こう側。でも今は地震と戦争でみんな変わっちゃったから…」
50代と思しきおまわりさんは、親切にそう教えてくれた。
おまわりさんが言った「私娼」とは、公に認められた吉原などの遊郭にいる「公娼」に対して、非公認の店にいる売春婦のこと。つまり、便宜上「遊郭」とはいうものの、本来は「玉の井の私娼街」と呼ぶのが正しい。警察官だけに、その辺は厳しいようだ(笑)。
クルマがやっと一台通れる程度の細い路地を歩いてみると、民家の多くが木造モルタル造り。確かにおまわりさんが言った通り、70年以上前の建物など残っているはずもない。
ただ、細く迷路のような路地には、住宅街にもかかわらず、ポツンポツンとスナックや居酒屋が点在していた。ここが昔色街だったという、独特の雰囲気だけは残っているのだ。もちろんというか、残念ながら今は風俗の「ふ」の字すら見つけることはできなかった。
初めから期待はしてなかったが、玉の井跡に風俗店はなく、隣駅近くの戦後の赤線跡「鳩の街」も完全に普通の商店街だった。
「かすかな可能性があるとすれば、アソコかなぁ」
そう思って向かったのは、下町のランドマークとなった“レースを纏った貴婦人”東京スカイツリーの足元、押上の街。
ツリーから少し離れると、昔の街も残っているが、下世話な雰囲気を感じさせるのはパチンコ屋程度なのであった。
ちと早いが、ここまでで結論は出てしまった。結局、墨田区の風俗は、錦糸町しかないということ。やっぱり、頼るべきは「錦糸町」様々なのだ。
スカイツリーから錦糸町駅北口までは徒歩10分ちょっとだ。錦糸町駅北口も、押上と同様にスカイツリーの完成と共に整備された印象がある。それまでの北口は、薄暗い路地にアジア系の飲食店が並んでいるだけで、明るく近代的な駅前の雰囲気とは異なっていた。
現在もアジア系の飲食店やエステがあり、それなりの香ばしさは感じられるものの、「駅からスカイツリーへ」という新しい人の流れが生まれ、洗練された雰囲気が強く感じられた。
JR線の高架をくぐって錦糸町駅南口へ。この向こう側が、墨田区イチの歓楽街というわけだ。
その前に、まずは駅舎のすぐ右手にある路地「ピアきんしちょう駅ビル通り」に入ってみた。
ここには数年前までテレクラと個室ビデオ店が並んでいたが、これも時の流れか、テレクラがなくなっていた。この路地をもう少し進み、人通りが少なくなったあたりまできたところで、とうとう墨田区第一風俗を発見した! ピンサロである。
この一角は、駅から至近距離にもかかわらず、以前からなぜか若干湿った匂いが漂っている。そのせいか、夜な夜な
「マサジ行ク? サンゼンエン」
と声をかけてくる中国人女性も多い。
駅前ロータリーと丸井の間にある京葉道路を渡り、丸井を右側から回り込むと、その一帯が「牡丹橋通り」の飲み屋街だ。
居酒屋に焼き鳥屋、キャバクラに外人パブ、大陸エステ、ホテヘルの受付、レンタルルームなどが雑居ビルにギュッと詰め込まれ、昼間は場外馬券売り場の客が、夜は酔客、ヌキ客が集まる路地となっている。