一方、享保年間(1717~)に京都の西本願寺法主が繰り返した諸行は、まさにSMそのものである。
その法主は、女性を籠に閉じ込めて天井からつるし、そのおびえる様子を見て喜んだり、近隣から遊女たちを集めては、全裸にしたうえで境内にある泉の中に落とし、這い上がってくる彼女たちを再度水中に突き落として、苦しむ有様を眺めて楽しんだという。
こうした乱行は、やがて幕府の耳に入り、その法主は隠居を命じられたとのことだ。
ほかにも、浄瑠璃などには懇意の女性を責め立てるシーンが登場することもあり、SMというものがさほど珍しいものではなかったのではないかと、伺わせる形跡が少なからず見つかる。
また、江戸期のいわゆる枕絵をみると、さまざまなセクシャルプレイが表現されている。SMに限らず、セックスを趣味嗜好として楽しむという感覚は、江戸期にはすでに熟成したと考えられる。
(文=橋本玉泉)