男は“佐々木”と名乗った。佐々木は、
妻が見知らぬ男に犯される様を見るのが何よりも楽しく、痴態が全国に晒されたらさらに快感が増すのではないか
と思い連絡したという。今日ならネットで配信すればいいのだが、当時はエロ本が十数万部も売れるような時代で、佐々木の願望を満たす媒体としてエロ本が最適だった。
願望は十分理解できたが、電話で一方的にそんな話をされても脳内には“美人局”という単語しか浮かばなかった。仮に佐々木の申し出が事実だとしても、どういうわけか不細工ほどこの手の性癖が多い。つまり、どちらにしてもロクなことにならない。
「さて、どうしたものか」と思案していた数日後、カラーページに掲載する予定だった某セクシー女優が奇声を発して撮影現場から失踪するというハートウォーミングな事態に見舞われた。校了日を逆算するとプロダクションと交渉して云々なんてことをやっている余裕はなかった。ということで、強制的に佐々木の申し出を受けるハメと相成った。
佐々木に指定された場所は、ネズミで有名な夢の国にあるホテル。これから人生の澱(おり)を舌でこそぎ取る行為をするというのに、ファンシーすぎだと思った。
ラウンジで「せめて人間っぽいのが来ますように」と神に祈っていると、「伊藤さんですか?」と声を掛けられた。まぁ、家族連れかカップルしかいない場所に、カメラを抱えたやさぐれた男が独りでいれば、携帯電話に連絡を入れずとも分かるというものだ。
佐々木とその妻は、ともに30代半ば。どちらも身なりがよく、アッパーミドル階級の人間だと見当がつく。打ち合わせがてら雑談をしてふたりがどういう人間なのか探るが、職業や住まいなど個人情報はすべてはぐらかされた。当人の弁を信じるなら、佐々木は小さな会社の経営者で妻は34歳。名前は「香織」と言っていたが、当然仮名だろう。
饒舌な佐々木に対し、香織はうつむいたままで一言も発しない。今回の主役は彼女なのだから、何も分かりませんでは簡単なルポも書けない。何とか香織に話を聞こうとしてみるが、その都度佐々木から「詳しくは部屋で」と遮られてしまった。