彼のセックスは、すべてが優しかった。キスしては「恐くない?」と聞かれ、胸にタッチされては「大丈夫? 不安じゃない?」と確かめられた。英語での会話だったが、明菜さんにはそれが魔法の呪文のように思え、ジョーとのふたりだけの世界に入り込めた。
「インサートの時も、少し進めるたびに“痛くないかい?”って聞かれて。でも、処女膜が破られた瞬間も痛みはそれほどなかったの。痛みよりも、最初はくすぐったいなって思えたくらい。しばらくすると、“あっ、いいかも”みたいな言葉にできないフィーリングで、気がつけば彼にしがみついて声を出して、頭の中が真っ白になってた」
その後、彼女にとって夢のようなラブラブな日々が続いたが、高校3年生になったころ、ジョーの家族がアメリカへ帰国することになった。子供同士のことなのでどうにもならず、運命を恨むしかなかった。しかし、すぐに「私がジョーのところへ行けばいい!」ということで留学を志すことに。両親からは「すべて自費であれば」という条件で許可が出た。
ということで、高校3年の夏休みからファミレスのバイトと英語の勉強を必死に行い、見事ジョーが在学する大学に合格した。しかし、渡米後の生活費を考えると、金銭的に心もとなかった。
そんな時に友人から風俗の話を聞かされた。フェラの経験はジョーを相手に数回ある。それで1日に3万円の稼ぎは堅いと言われ、多少の罪悪感はあったものの、お店の面接に行ったという。
「高校生が風俗で働いたらいけないって知らなかったの(笑)。それで、当然アウト。だけど、高校を卒業して4月になったら来なさいって言われて…」
かくして、明菜さんは高校を卒業した翌月から横浜のファッションヘルスで働き始めることになる。アメリカでの新学期が始まる9月に渡米するまでの約5カ月、という期間を決めてのことだ。ジョーに会いたい一心で、自分のやっていることは「あくまで仕事」と言い聞かせて頑張った。週に6日、一日10時間勤務という過酷なシフトでテクニックは上達し、18歳のルーキーは翌月には指名率トップに。その稼ぎは、3桁になっていた。
そして、予定通り8月末に店を辞め、明菜さんはジョーが待つカリフォルニアに飛んだ。再会するなり、さっそくセックスとなったが、彼はどこかよそよそしかった。明菜さんが思わず出してしまったテクニックに「他にステディでもできた?」と聞かれもしたが、実はジョーの方が新しい彼女を作っていた。
「ショックだったけど、新しいスタートだって割り切れた部分が大きかったかな。それに、すぐに新しいアメリカ人の彼ができたの、同級生の。キャンパスでジョーに会うと、見せつけるようにイチャイチャして(笑)」
2人目の彼氏もアメリカ人ということで、そこから日本人とは付き合っていないという明菜さん。もちろん、日本人男性相手にそういう雰囲気になったこともあるそうだが、
「たまたまだろうけど、日本の男はがっついているというか、前戯から自分勝手なセックスが多いというか、スマートさを感じられなくて…」
と、インサートの前に拒んでしまったという。アメリカ人男性はムードを大切にし、すべてに対してレディファーストなのが心地よいという明菜さん。それがロストバージンから28年間、日本人男性と交わっていない理由だ。「変なこだわりかもしれないけど、それがアイデンテティになっている」と明菜さんは自己分析した。
以前経営していた雑貨店の借金を完済したら、再び渡米を考えているという明菜さん。「たぶん結婚はしないだろうし、いつまでもサーフィンをしていたいから」と理由を語る明菜さんは、どこまでも自由な女に思えた。
(文=子門仁)
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【女のコのデータ】
名前:明菜
年齢:44歳
出身:神奈川県
現在勤務するお店:横浜の若妻専門デリヘル
キャリア:合計15年(取材時:2017年7月)