わけもわからず2人の男と結婚する羽目になった21歳美女

2017_0728_wasou_fl.jpg※イメージ画像

 ある女性が本人も知らないところで勝手に結婚話が進んでしまい、その結果、花嫁の掛け持ちをすることになってしまった。そんな事件が明治時代に起きたらしい。

 富山県出身のおつね(21)は、数年前に上京してある華族のもとに行儀見習いとして奉公していたが、明治43年(1910)10月に暇をもらい、神田・神保町に住む叔父の文三郎の家に戻っていた。

 それなりの年頃で、しかも華族の家でしっかりと礼儀作法を身につけた女性であるから、ほどなく近隣でも評判となった。そして、同じ番地に住む54歳の男性が「ぜひ、うちの25歳の甥、仙太郎の嫁に願いたい」と文三郎に申し出た。

 そこで文三郎はおつねさん本人に話を伝え、2人をお見合いさせたところ双方とも納得。その後は結納から結婚の日取りまで、順調に話が進んだ。

 さて、おつねさんには與平(32)という兄がおり、知り合いから「24歳の弟、庄次郎の嫁におつねさんをもらえないか」と持ちかけられた。するとこの與平、「妹の事は自分が呑み込めば否応なしだ」などと豪語して、おつねさん本人に何の相談もなしに自分ひとりで結納まで勝手に決めてしまった。そして與平は、一刻も早く妹を喜ばせてやろうなどとハイテンションで文三郎の家に向かった。

 ところが、おつねさんに確認したところ、すでに別の男性と結婚の話が決まっていると聞いて、與平は唖然。「なぜ兄に相談なく決めた」「そんな相談は兄が承知しない」などとわめき散らしたものの、そもそも勝手に話を決めた與平がうかつなのは明白である。しかも、大見得を切った知り合いに顔向けできないことからか、妹がすでに結婚が決まっていたことを話さなかったようである。

20170728jiken.jpg『東京朝日新聞』明治43年12月7日

 
 婚礼当日、どうにも納得できない浅はかな兄の與平は、なんとまさにこれから三三九度という時に妹おつねさんをその場から呼び出すと、無理やり人力車に載せて庄次郎の家に。そして、あっけにとられている彼女に、「さあ、庄次郎さんと盃を交わせ」などと無理強いする往生際の悪さである。

 その頃、仙太郎の家では婚礼の途中で花嫁がいなくなったと大騒ぎになり、神田署に捜索願が依頼された。

 とはいえ、花嫁を連れ去るような馬鹿なことをする奴は目星がついているということで署員が急行すると、おつねさんはもう一方の婚礼の最中に保護された。

 この事件の張本人である與平は神田署に呼び出され、「おつねさんは仙太郎に嫁入りするのが筋であろう」と諭されたという。

 しばしば、「戦前は結婚相手は親同士が決めていて、本人たちに相手を選ぶ自由はなかった」などと言う方がいたりする。確かに、親や親戚が相手を選ぶケースも資料にみられる。極端なケースは、この事件が起きた明治43年、愛知県で17歳の女性が一度も会ったこともない男性と結婚したという逸話が伝えられている。

 しかし、多くの庶民は自分の意志に基づいて結婚を決めていたようであり、確かに旧民法が定める窮屈さはあったようだが、まったく自由がなかったというのは言い過ぎのような気がする。
(文=橋本玉泉)

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