2001年頃の横浜黄金町のちょんの間には、タイ人、中国人の中に白人もいた
現在は、安い中華系や韓国風俗に押されて下火だが、ロシアやウクライナのスラブ系から、イタリアやスペイン、南米などのラテン系まで、金髪白人風俗が華やかなりし時代があった。
それは、池袋や新大久保のラブホ街に立ちんぼが“わんさか”いた1990年代後半から、ちょんの間や箱ヘルに大規模摘発が入った2004年頃まで。横浜黄金町のちょんの間にも白人美女が立ち、歓楽街には「白人エステ」なんてものまであり、そこでお手軽にパコパコできたものだった。
2003年頃の白人エステ。追加1万円でパコパコできるのは、当時としては大陸エステと同じだった
大摘発以降、当局の目を逃れてデリヘルに移行して、間もなく三行広告風俗の時代へ突入した。が、それでも若くてカワイイ白人の女のコと遊べるデリは、たくさんあったのだ。しかし…。
久しぶりに金髪のオネーちゃんと一発やってみっかと、ネットで目星をつけた女のコを予約して鴬谷にある某白人デリへ。が、ホテルの部屋に現れたのは、オイラ好みの貧乳ロリ系とは似ても似つかない、アマゾネス系の超グラマラスな人妻系だった。