いにしえの時代、遊郭が置かれた街は、その出入り口には大きな門扉が設置されていたり(吉原や飛田新地など)、街そのものが岬の突端であったり(高松の旧八重垣遊郭他)、あるいは周囲に用水路を巡らせたり(高知の玉水町や金沢の石坂など)といった工夫がなされていた。
それはまぎれもなく、娼妓たちが逃げるのを防ぐための工夫のひとつなのだが、愛知県豊橋市に残る旧東田遊郭跡の街並も、路地が「回」の字に配され、いかにもという造りにになっている。歩いても3分ほどで回れそうな距離の路地には、現在も玄関に松の木が植えられた元鼓楼だったであろう立派な和風建築の建物が並んでいる。
路地に残る立派な建物。かつては鼓楼であったと思われる
筆者は、この旧遊郭で今でも昔ながらの商売が行われているという情報を得て取材に来たのだが、残念ながら客らしき人影もやり手ババアも、鼓楼に入っていく女性の影も見かけることはできなかった。
近くのスナックに入り、ビールで喉を潤しながら女将に聞くと、どうやら筆者と同様の目的で来ては、記念写真だけ撮って帰っていく男性は意外に多いと教えてくれた。元鼓楼は旅館として営業しているらしい。そして、後日わかったことだが、豊橋には旧遊郭が二カ所あり、営業中なのはもう一方の方だったようだ。
スナックのママ曰く、数軒は旅館として営業しているようだ