戦前の遊郭では、さまざまな事件が起きている。その多くはちょっとした暴力沙汰やいざこざだが、なかには死者を出すような殺傷事件も何件かある。
明治23年(1890)のこと、東京に住む山下清吉(25)という男は下谷龍泉町にある東京電燈の支社に勤務していた。東京電燈とは日本最初の電力会社で、のちに東京電力と合併する。
下谷の龍泉町といえば現在の台東区竜泉で、すぐ隣は吉原遊郭である。この山下も吉原に通うようになり、そのなかの若狭楼という店の常連となっていった。
だが、山下の給料は月給7円。当時の労働者の月給としてはそこそこであったが、遊郭通いをするほどの余裕ある金額ではなかった。そのため、やがて同店に10円ものツケがたまってしまった。
ツケがたまった店には行きにくいもの。それでも、吉原で遊びたい山下は、別の店へと行くようになった。
ところが山下、若狭楼のすぐ隣の店で遊んでいたため、若狭楼の妓夫(31)に見つかってしまった。妓夫とはおもに客引きをする男性従業員である。
隣の店に行こうとする山下を見た妓夫は、山下の素通りとツケの未払いを嫌味たっぷりにネチネチと言った。当然、山下がとても嫌な気分になったことは言うまでもない。山下は、若狭楼からますます遠のくようになってしまう。
ところが、そのすぐ後で東京電燈で経営改革のための50人ほどのリストラが実行された。そのなかに、山下も含まれていた。犯罪史の資料などには、山下が遊郭遊びにうつつを抜かしていたために免職となったかのように解説しているものもあるが、当時の新聞記事にはリストラの対象として解雇されたという事実のみが記されている。
ともかく、会社をクビになったことは、山下にとってかなりショックだったらしい。
「俺がこんなことになったのも、あの若狭楼のせいだ」
何とも見当違いの逆恨みだが、5月21日の夜11時頃、出刃包丁とナイフを1本ずつ持ち、さらに身なりを整えて若狭楼に向かった。