彼の話を聞いて、私はすっかりアルゼンチンという国に興味を持った。すると、「アルゼンチンはメキシコと同じスペイン語だから、俺が行けば交渉はできる」と自信ありげに話すアロン。そこで、私たちはスケジュールを調整し、メキシコから0泊2日という強行日程で向かうことにした。
首都ブエノスアイレス郊外にあるエセイサ国際空港に到着してまず思ったのは、現地の人達の顔がどことなく日本人に似ているということだった。もともとアルゼンチンの最初の住民はベーリング海峡を渡ってやってきたアジア系人種だという説があり、我々日本人が親近感を持てる顔が多かった。また、若い女性はスレンダーで美人が多く、早くも期待が高まる。中南米の女の子が集まっているお店に期待しつつ、アロンが運転するレンタカーでブエノスアイレスへと向かった。
この車中、アロンは妙なテンションだった。アルゼンチン・タンゴの名曲『エル・チョクロ』という曲を数小節ほど口ずさんだ後に、「アルゼンチン・マ○コ!」を連呼する。日本人である私のために考えたギャグのようだが…。
そのアルゼンチンタンゴの発祥の地とされているのがボカ地区で、我々が目指す場所だった。カミニートと呼ばれる小道の両脇のカラフルな建物も愛らしいが、実はブエノスアイレスでも治安の悪い地域でもある。
夕暮れ時だったので、街角には街娼がきわどいミニスカートをはいて立っていた。なんでも、自由売春婦も完全に禁止されているわけではないのだという。しかし、保健的な取締も極めてルーズで、「ストリート(ウーマン)はヤバイ、恐い」とアロンが教えてくれた。
結局、アロンが事前に調べておいた売春宿へ足を運ぶことにした。外観は5階建てのアパートメントで、まずは3階の受付のようなところへ行く。いかにも“裏世界の人間”風の若い男が何やら話しかけてくるが、アロンのスペイン語のおかげでスムーズな交渉となった。
値段は日本円にして6千円程度で、アロンが「どの国の女の子にする?」と聞いてきた。せっかくなので「アルゼンチン」と答える。すると、その裏世界の若い男が「シー(わかった)」とだけ言い、私はひとつ上のフロアにある部屋へと通された。ワンルームマンションの洋間といった感じの内装だった。
「オラ!(スペイン語の気さくな挨拶。日本でいうところの“は~い!”という感じ)」と部屋に入ってきたのは、アリシアと名乗るスレンダーでスタイル抜群な20代中盤くらいの娘だった。