戦前の新聞を眺めてみると、身体的な特徴を報じた記事がいくつも見つかる。以前、拙稿にてご紹介した『仰天! ペニスが2個ある男性を発見(明治26年)』などもそのひとつである。同じく明治26年、今度はペニスではなく陰のう、つまりタマのほうのある出来事が紹介されている。
この年の3月、和歌山県のある村で材木商と農業を営む55歳の男性が、東京の大学病院で病変した患部の切断手術を受けた。その患部とは、肥大した陰のうであった。
この男性、10代の頃に山林で遊んでいたときに下腹部を負傷したことがきっかけで、後に睾丸膨張症なる症状を発し、30代の頃には見た目にも大きく腫れ上がるようになった。
何度か医師を受診し治療を試みたが、改善することはなかった。そして、肥大は次第に進行し、新聞記事によれば、外周130センチ、直径45センチにまで大きくなった。股間から垂れ下がる長さは48センチにもなったという。まるで股の下にバスケットボールくらいの異物をぶら下げているようなものだったと推測される。
この肥大した陰のうは、とくに痛みなどはなかったらしい。むしろ、感覚がない状態になっていた。たとえば40歳の時、寒い時期にアンカを布団の中に入れて寝ていたところ、アンカの火が肥大した陰のうに移ったもののまったく熱さを感じなかったという。翌朝、陰のうに火傷のあとがついていたため、ようやく事故に気づいたとのことである。
だが、男性を悩ませたのは疾患そのものの痛みや不具合よりも、世間の人々からの奇異の目であった。