この医院と旅館、入り口は別々になっているものの、内部ではドア1枚でつながっていた。つまり、宿泊客を装って旅館に入った女性が、そのドアを通って医院に入り、堕胎手術を受けていたというわけである。これなら、こっそりと堕胎することが可能である。
旅館の主人もこうした違法行為の一味であり、首謀者は薬剤師であった。
捜査が進むにつれ、事件の尋常ではない状況が明らかとなっていった。1週間後の5月29日までには、掘り出された胎児の遺体は31体にも及んだ。
同時に、堕胎手術を受けた女性についての捜査も進められた。だが、多くの女性が偽名を使っていたために、捜査は難航した。
それでも、手術を受けた女性は次々に判明した。来院した女性については、大阪市内はもとより、神戸市や岐阜、岡山、三重など、広い地域に及んでいた。女性の年代も、下は10代から上は40代やそれ以上という状況だった。
その女性たちだが、学生や主婦、会社員などをはじめ、尼僧や女性教師などのほか、著名人や政財界有力者の令嬢なども取り調べを受けており、警察や世間を大いに驚かせた。
そして、取り調べのために召還された女性は70名以上にも及び、そのうち約30名が起訴されるに至った。氏名や住所が判明しただけでもこの数であるから、実際にはさらに多くの女性が堕胎手術を受けていたことは明らかである。