――逆に、SMショーに演劇的な要素を求めてくるお客さんも多かったんでしょうか。
伝次郎:前衛的な作品で知られる劇作家の寺山修司さんもガンガン公演を行っていた時代だからね。エロ目的だけじゃなくて、実験劇的な意味合いでSMショーを見に来る人も多かったと思う。だから、僕のショーもあえて奇抜なアイデアを取り入れていた部分もある。たとえば、柱を真ん中に立てて、浮いたり水平になったりする巨大な装置を作るわけですよ。そんな装置に女が裸で縛られているっていうだけで、とても実験的だよね。
――伝次郎先生のショースタイルは、今でもその精神が引き継がれているからか物語性を非常に感じます。前衛演劇のようなショーというのは、現代ではとても貴重だと思うのですが。
伝次郎:70年代から80年代のSMショーブームの全盛期は、実験劇的な部分に感動するお客さんもいっぱいいた。でも今はちょっと雰囲気が違うかも。僕の師匠は、当時のアングラ劇団の代表的な存在である劇作家の唐十郎さんなんです。だから演出の技法は唐十郎さんの流れを汲んでいる。今の僕のショーの中に芝居的な部分が出るのも、そうした影響かも。明智伝鬼さんが初めて僕のショーを見たときに、“非常に芝居的だった”と彼が言ったと雑誌に書いてあったのを覚えています。SMショーなのに、わざわざタイトルを決めて雑誌に興行予定を載せてたくらいだからね。たとえば、『漂流聖女の島』と命名して、網がかかって孤島に流れ着いた女が舞台に横たわるところから始まるSMショーをやるの。
――それはかなり芝居仕立てですね。ところで伝次郎先生がSMの世界に本格的に足を踏み入れたのは、なにがきっかけだったんですか?
伝次郎:僕がSMの世界を知ったのは、60年代から緊縛師として活躍したオサダ栄吉さんに出会ってから。当時、彼はSM実験劇で有名なオサダ・ゼミナール(SM秘密の会)を主催していたんですが、それを手伝っていたんです。オサダさんは根っからのSMマニアとして生きてきた人なんですが、僕は、はっきりいって、そういう体験はなかった。ただ彼の底知れぬSMへの欲求に接して、とても興味がわいたんだよね。