煩悩には抗えないのか、巫女服の上から彼女の胸や尻を揉んでいると、次なる欲望が芽生えてきた。胸を揉んだ際に服が乱れ、谷間が露わになった。“巫女さんの乱れた服”が筆者のツボだったのか、とにかく興奮した。となれば、もっと乱れさせたい、つまりは脱がせたい!という願望がふつふつと湧くことに…。
案の定、脱がせることにも特別参拝料金の2,000円がかかるというが、かまわない! 遠慮なく巫女さんの服を脱がそうとしたが…ふと、「俺、なにをしてるんだろう?」という思いが頭をよぎった。そうなると、神聖な巫女服を脱がすという行為が、急に(というか、“いまさらながら”だろうが)不謹慎に思えてきた。
もうひとつ、巫女さんの服を脱がす行為に悩みが生じた。それは、この服を脱がせてしまったら、彼女は巫女さんではなくなるのだ。当たり前ながら、裸になったら一人の女性でしかない。なんのために自分は『巫女風俗』で遊んでいるのだ? ということで、完全には脱がさずに、胸元だけはだけさせ、巫女としてのスタイルを留めるようにした。それにしても、巫女服を脱がす瞬間の背徳感は…。不謹慎さに比例してドキドキ感も高まり、妙な興奮が股間を襲ったのである。
「恥ずかしいですぅ…」と言うわりには、「フィニッシュはどうする?」と誘う彼女。その時、筆者はあることを思い出した。それは、巫女という存在が、“風俗嬢の原点”という説である。簡単に説明すると、古事記の時代には巫女との性交で神の言葉を聞く…といったことが行われていたんだとか※。
※<参考記事>『【日本の風俗発祥に迫る】風俗嬢の起源は巫女だった!?』
さて、フィニッシュである。不謹慎ついでに筆者は、「どうせならば…」と巫女さんに責められたいと思った。すると、「顔面騎乗で手コキでの徐霊はいかがですか?」と誘ってきた。もちろん巫女の導きに逆らえるはずもなく、彼女は袴を完全には脱がず、膝のところまで下ろし筆者の顔に腰を下ろした。股間には巫女さんの手の温もりが…。視界は顔面騎乗で遮られていたが、その分、股間が敏感になっていたのだろう。祈祷された亀頭は瞬く間に膨らみ、そして白濁液という悪霊を追い出した。これにて除霊終了となった。
ちなみに、最後の顔面騎乗と手コキで特別参拝料金として計4,000円を納め、合計で40分16,000円…。基本料金と同じ金額のオプション料金を使うことになってしまった。結果としては、手コキ風俗となったが、オナクラに注ぎこむ金額かといえば…悩むところである。いや、でも、巫女の前で金銭のことをアレコレ考えることが一番不謹慎なのではないか? いずれにしても、エロスと背徳が隣り合わせの不謹慎さは、時に想像以上の快感を呼ぶということ身をもって知った筆者であった。
(文=子門仁)