「私の陰毛のどこがダメなの?」 ソーシャルメディアの過度な自主規制が問題に


 ユーザーが好きな画像を投稿できるInstagramをはじめとするソーシャルメディアにおいて、女性の胸部や男女の陰部が露出した写真の扱いに関する問題は常につきまとう。

 同じく画像共有サービスであるPinterestにおいても、ユーザーがアートだと思って投稿したコンテンツが、サービスのプラットフォーム側の画一的な解釈によって猥褻なものと見なされ排除されてしまった、という問題は後を絶たない。

 Pinterestで投稿を削除される場合、ユーザーにはプラットフォーム側から削除の理由を記したメールが送られる。女性のヌードのデッサン画像を削除されたというある海外ユーザーが、自身のブログでPinterestから届いたメールを掲載していたのだが、その中には、性的な表現を禁止する旨とともに、皮肉にも次のような一文があった。

「(ヌードであっても)アートや教育的な意義のあるものはもちろん許容しています。たとえば、美術館や教室の中で見られるような」

 ソーシャルメディアに限らず、こうした“行き過ぎた表現の自主規制”は今、メディアや社会でも顕著になっている。漫画家でアーティストのろくでなし子への起訴や、サザンオールスターズの年越しライブへの抗議、そして先日の音楽番組におけるISILによる人質事件への配慮などなど。

 猥褻か否か。不謹慎か否か。ボーダーラインが曖昧であるがゆえに、Instagramのコメントにあるように「必ずしも自分の認識が正しいわけではない」ことを、ユーザー、視聴者、そして一市民である我々も、肝に銘じておかないといけないのかもしれない。
(文=ツジエダサト)

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