浅井企画といえば今年創立47年、東京・五反田に構える老舗のお笑いプロダクションだ。しかし100人を超えるタレントが在籍する大所帯でありながら、これまで浅井企画の芸人と聞いて思い出すのは、萩本欽一と坂上二郎による『コント55号』を始めとして、関根勤、小堺一機、『キャイ~ン』といった面々くらいのものだった。しかしここに来て、そのイメージが大きく変わりつつあるようだ。
芸人仲間や業界関係者の間では絶大な人気を誇っていた『ずん』の飯尾和樹が、レポーターや芸人大喜利王決定戦『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)の回答者として大ブレイク。さらには『どぶろっく』が、子どもから若い女性を中心に妄想ソング「もしかしてだけど」旋風を巻きおこし、また『流れ星』はギャグメーカーのちゅうえいの一発ギャグが大ウケ。3組とも、今最も勢いのある芸人に数えられている。
「実力派芸人を抱える古き良き事務所」というイメージを長らく持たれてきた浅井企画が変わりつつあるのか、それとも人気芸人の相次ぐ輩出は一過性のものなのか? 関係者に聞いてみた。
「まず、古参の芸人プロダクションだった浅井企画を変えたのは、関根勤さんの一人娘・関根麻里さんの登場が大きい。父親譲りのモノマネをやることくらいしか注目されなかった彼女ですが、2008年、人気トークバラエティ『誰だって波瀾爆笑』(日本テレビ系)のMCに抜擢されると、その頭の回転の良さと器量の良さ、堂々たる仕切りによって各局からオファーが殺到しました。そして、間もなく浅井企画のスポークスマン的存在となったのです。このことで、浅井企画の芸人も売り込みやすくなりました」(在京テレビ関係者)
浅井企画はキャイ~ンのブレイク後は、長らくスターが誕生していなかった。再ブレイクしたはずのルー大柴は、その後事務所を辞めて元マネージャーと独立している。「商材」となるタレントはたくさんいたものの、売り込むチャンスがなく、芸人の多くが「不良債権化」と言える状態にあった。
「関根麻里さんの成功によって、彼女の出演する番組に芸人を出したり、別の番組にも出させることができたのです。こうして地力がもともとあった『ずん』の飯尾さんは、単なるマニアックな一発ギャグマシーンから、独特の間でツッコミができるタレビタレントに成長することになりました」(前出同)