2014年7月8日にBiSが解散してから記憶がない。
……という状態になれていたら幸せだったのだが、この連載「私を生まれ変わらせてくれるアイドルを求めて」で「BiSに救済された」と宣言してから約3年半を経て、私は疲弊を通過してすっかり消耗し、身体を引きづりながらなんとかBiSの解散を見届けた状態に近かった。とはいえ、ひとつのアイドルグループのほぼ最初から最後までを見届けられたことが稀有な体験だったのは間違いない。その馬鹿馬鹿しいほどの楽しさ、異常な熱狂はもちろん、悲愴さ、残酷さも目の当たりにできたのだから。
そして疲れ切った表情で周囲を見回すと、アイドルバブルは安定期に入った感がある。そもそも私もテレビ東京『ゴッドタン』のアイドル特集に出演したし、アイドル関連の原稿依頼も増え続けている。恩恵を受けている面は否めない。もうアイドルバブルに対して偉そうなことは言えない気がする。すっかり弱気だ。
その反面、体感としてはアイドルマーケットはそろそろ拡大しきったのではないかという印象も受ける。私は別にアイドルに飽きてはいないし、CDもライヴも充実したものに出会うことができた。しかしそれは現状のマーケットの大きさを担保にしたものだ。この状況がいつまで続くのだろうか……バブル崩壊やリーマンショックが来るのではないだろうか……とも考えるが、この数年続いてきただけに2015年もまだ続くのではないかと楽観的にかまえることにした。
私の心の中では、いわゆる「アイドル戦国時代」も、しょせん2000年代の地下アイドルシーンから地続きのものに過ぎない。「冬の時代」扱いされて無かったかのように語られることもある時代だが、あの頃はあの頃で楽しかったのだから、アイドルバブルが「アイドルデフレ時代」に戻ってもそれなりに楽しいことだろう。デフレ経済下の私たちの実生活がそうであるように。
そんなわけで、恒例の年間ベストテンを挙げていきたい。気づけばもう5年目である。
【2013年】「次の10年」を生き抜こう。~2013年アイドルポップスベスト10まとめ
【2012年】産業が滅び、文化だけが残るだろう ~2012年アイドルポップスベスト10まとめ
【2011年】「アイドル戦国時代」なんて勝手にやってろ!! 2011年アイドルポップスベスト10!!
【2010年】アイドル戦国時代とは何だったのか? 2010アイドル音楽シーン総括評
■1位:寺嶋由芙「80デニールの恋」(ユニバーサルミュージック&EMIアーティスツ合同会社)
「音楽業界でディレクターをA&Rというのは、60年代前半まではディレクターの仕事というのは、その歌手に歌わせる良い曲を探してくる事だったんです。なのでビッグネームがローカル・ヒットをカバーしてグローバルなヒットにするというのは良くある話だったのですが、ビートルズ以降自作自演がメインストリームになってしまったため名前だけが残ったという事です。」
これは寺嶋由芙のディレクターである加茂啓太郎の2014年8月11日のブログ(※http://blog.goo.ne.jp/peaceboat1/e/0b73e456807daf9c3e677aa2de7accad)からの引用である。こうしたローカル・ヒットとグローバル・ヒットの関係は、たとえば1961年にThe Tokensが全米No.1を獲得した「ライオンは寝ている(The Lion Sleeps Tonight)」も、もともとは南アフリカで1940年代にヒットした楽曲だったことを思い浮かべるとわかりやすい。
寺嶋由芙の「80デニールの恋」は、彼女のセカンド・シングル「カンパニュラの憂鬱」のカップリング曲。その原曲は、ゆり花という「モナレーベル女性シンガーソングライターオーディション2012」で準グランプリを獲得したアーティストによる作品だ。そして原曲を収録したゆり花の「daughters」もモナレコードで販売されていた。
かつては行達也が店長をしていたモナレコードは、最近ではShiggy Jr.を早くから見出したことも記憶に新しい。個人的にモナレコードから発売されてもっとも愛聴したのは、久保田麻琴がプロデュースした東京ローカル・ホンクの2005年のアルバム「東京ローカル・ホンク」だった。
そうした良質なポップスを届けるモナレコードと、加茂啓太郎率いるユニバーサルミュージックジャパンの新人開拓部署「Great Hunting」の接点にいたのがゆり花。彼女の「80デニールの恋」という楽曲は、男ヲタにはほぼわからないタイツのデニールという単位と恋愛の機微を絡めて歌った楽曲だ。そして絶妙にエロティックな歌詞でもある。「ねえいま触ってもいいんだよ」や「ねえいま触ってもいいよね」という直接的な表現よりも、「階段を10段上ってゆく間じゅう/考えていたの/とびきり素敵な色どりをすべて/あなたに捧ぐの私」という意味深な歌詞のほうがはるかに想像力を刺激してしまう罪作りな楽曲だ。
それをアイドルである寺嶋由芙に歌わせたときの衝撃たるや……。気がつけば私はライヴの後のヲタの反省会で憑りつかれたかのように(あるいは本当に憑りつかれて)「80デニールの恋」の魅力を熱弁するようになっていた。23歳の寺嶋由芙だからこそ歌っても等身大に聴こえるというのもポイントだ。
加茂啓太郎は「80デニールの恋」を寺嶋由芙のためにアレンジするにあたって、彼女のこれまでのシングル表題曲すべてを作編曲してきたrionosに「ティン・パン・アレー meets DJ Shadow」と注文したという。ここでいうティン・パン・アレーとは、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆によるバンドのことだろう。かくして、モナレコードの嗜好性にもつながるであろう1970年代的な日本のポップスの感覚を、プログラミングで再構築するという難易度の高い作業をrionosは行った。「80デニールの恋」の冒頭は、アナログレコードの針が拾うノイズの音である。
シングル表題曲の「カンパニュラの憂鬱」でも同様だが、オートチューンの加工がほぼないと思われる生々しいヴォーカルの録り方もアイドルとしては珍しい。それが「80デニールの恋」という楽曲を寺嶋由芙のものとさせることに成功した。
加茂啓太郎がディレクションすることにより、寺嶋由芙にはさまざまなアーティストが作家として関わることになった。rionosをはじめ、夢眠ねむ(でんぱ組.inc)、ヤマモトショウ(ふぇのたす)、ミナミトモヤ、西浦謙助、ハジメタル、Shiggy Jr.、ジェーン・スー、PandaBoY、MOSAIC.WAV、アヒト・イナザワ(VOLA&THE ORIENTAL MACHINE)という具合だ。カヴァーで岡村靖幸の「だいすき」やMadonnaの「Like a Virgin」もリリースされているが、「本来はカヴァーだがオリジナル扱い」という「80デニールの恋」の不思議な立ち位置は、楽曲と寺嶋由芙の親和性の高さを示す事実だろう。
1960年代前半までのディレクターの手法で、2010年代の楽曲を取り上げて、1970年代や1990年代のエッセンスを念頭に、2010年代のポップスとして成立させる。ポップスの魔法がここにはある。
2013年末のデビュー・シングル「#ゆーふらいと」のリリース発表(その時点では曲名が確定していなかった)から丸1年をかけて、寺嶋由芙のサード・シングル「猫になりたい!」はオリコン週間シングルランキング16位になった。BiS脱退後、何の後ろ盾もない状態からここまで巻き返す姿も痛快だった。