しかし、すんなりとは運ばなかった。すでに角蔵と通じていた作次郎の奥方はすぐに納得したものの、事情を角蔵の奥さんは「冗談じゃない」と拒否。すぐに結婚の際に仲人を引き受けてくれた福五郎の家に駆け込むと、事情を話して助けを求めた。
事情を聞いた福五郎は、「奥さんを交換するなど人の道に外れる行為。村中の恥になるのは間違いない」と猛反対した。
ところが、今度は角蔵が猛反発。「人の恋路を邪魔するヤツは、犬に食われて死んでしまえ。黙って遠くて眺めていやがれ!」などと怒鳴りつけた。これには福五郎も及び腰となり、さりとて角蔵の言い分を認めることもできない。
この状況に、喜んでいた作次郎も呑気に奥さんを交換している場合ではなくなった。とりあえずこの時は、自分の奥方を連れて家に戻って様子を見ようということになった。
だが、しばらくしてさらに厄介なことが起こった。作次郎の奥さんが妊娠していることがわかったのである。
はたして、お腹の子の父親は、作次郎なのか角蔵なのか。これがもとで、今度は作次郎と角蔵の仲もゴタゴタし始めた。一方、相変わらず角蔵と福五郎はいがみ合うばかりで、2組の夫婦と1人の仲人の人間関係はドロドロになったという話であった。
これは当時の『横浜毎日新聞』に掲載された話であるが、ほかにも似たような話はある。明治8年7月28日の『東京曙新聞』には「妻君共有村」と題する記事が載っている。それによると、東京のある集落では、男女数名で共同生活をしているケースがあり、「どの女がどの男の女房だかどの男がどの女の亭主だか」わからないような状態だという。
それでいて「焼餅喧嘩の騒ぎもおこさず互いに睦まじく」生活していたという。村と書かれてはいるが、現在の港区の一角、今でオフィス街になっているあたりの話である。
(文=橋本玉泉)