静謐な作風ながらも、残忍なまでの暴力描写により「韓国の北野武」の異名をもつキム・ギドク監督。昨年、日本でも公開された『嘆きのピエタ』で第69回ヴェネチア国際映画祭・金獅子賞を受賞し、韓国映画至上初となる世界三大映画祭(カンヌ・ヴェネチア・ベルリン)の制覇を成し遂げた鬼才が、次に世界に突きつけた問題作が、12月6日公開予定の映画『メビウス』だ。
セリフなしで展開する危険な寓話
そのあまりに過激な暴力および性描写により、韓国では上映制限が敷かれた同作。日本でも幾度もの審議を経て、ギリギリR18指定で公開されるに至った曰く付きだが、世界が何よりも度肝を抜かれたのは、セリフが一切ないことである。
役者たちに許されたのは、「笑う」「泣く」「叫ぶ」の3つの要素だけ。表現が限界まで削ぎ落とされた演出は物語の輪郭を際立たせ、ある家族に起きた惨劇が現代の寓話のように仕立て上げられている。
阿部定も真っ青!? 衝撃の性器切断
物語の舞台は、韓国のとある上流家庭。浮気をやめない夫(チョ・ジェヒョン)に、激しく嫉妬する妻。その嫉妬はやがて狂気へと変わり、怒りの矛先が息子(ソ・ヨンジュ)の性器へと向けられる。
そう、かの阿部定事件よろしく、しかしここでは夫ではなく15歳の多感な年頃の息子の性器を(息子役のヨンジュも実際に15歳)、妻が根元からバッサリと切り落としてしまうのだ!
妻はその後すぐに失踪。夫と息子が取り残されることに。夫は自らの不貞により性器を失ってしまった息子に男としての自信を取り戻させるため、絶頂に達するための“ある方法”を伝授する。
やがて父子関係を修復したかに思えた頃、妻がある日突然、家に戻ってくる。そして、新たな欲望の渦が巻き起こっていく――。
まず、性器を切ることから始めた
これまで手がけてきた20本近い作品において、ギドク監督は、その時代を生きる人やその時に起きた事件などをモチーフにしてきた。今回、なぜ彼は性器にこだわったのか。今年の9月に来日した際に行われた、同作のティーチイン・イベントにおいて、監督は次のように語っている。
「私は男で、性器を持っている人間です。そのせいで色々な欲望と問題が生じ、常に葛藤しています。この欲望を避けて通れないのか、一度映画でしっかり描いてみたいと思いました。だからまず、最初に性器を切ることから始めようと思いました。そうすることで何か見つかるんじゃないかと思ったからです」
欲望からの解放。海兵隊を除隊後、神学に目覚め、牧師の道も目指したことがある監督らしい視点である。
監督は、性器がなくなった場合、二つの問題が生じると考えた。一つは快楽や快感を感じる機能がなくなること。もう一つは、子供をつくる機能がなくなること。