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創設30周年を迎えた老舗AVメーカー・FAプロの通算2000タイトルを記念したトークイベントが都内で開催され、FAプロ作品でおなじみの春原未来(すのはら・みき)、寺崎泉、川上ゆうの三女優と、同メーカーの創設者であり、日本のドラマAV界のパイオニア的存在でもあるヘンリー塚本監督が登壇。割烹着などFAプロ作品でおなじみの衣装を身にまとった三女優のファッションショーや、ヘンリー監督を囲んでの大質問大会などが行われた。
1985年に創設されたFAプロは、農村や川のせせらぎが聞こえる風景など、かつて日本に存在した懐かしい生活空間を舞台に禁断の世界を描く「昭和シリーズ」や、無国籍空間を舞台に殺るものと殺られる者の激しいまぐわりを描いた「戦場シリーズ」など、個性的な作品を次々と世に送り出してきた。今月13日には通算2000タイトルの突破記念作品として「セックスのすすめ絶頂快楽篇」と「セックスのすすめ挿入篇」も発売。この日は記念日とあって、予定のなかったヘンリー監督もサプライズで登壇。ドヴォルザークの交響曲に乗って登場すると、「みなさん、どんどんセックスをして欲しい。そして日本の少子化問題に歯止めをかけてほしい!」と会場にゲキ。
イベントでは春原未来、寺崎泉、川上ゆうの3人がまずステージに登場し、FA作品についてのフリートーク。話題の中心はもちろんヘンリー監督で、川上は「とにかく朝から熱い方。朝、毎回衣装合わせがあるんですけど、その時に必ず『川上ゆう、おはよう』ってなぜかフルネームで呼んでくださるんですよ。なかなか他の監督さんにはいないタイプ」と監督を紹介。
また、監督を父のように慕い、撮影中、「死にたい」などネガテイブな相談を持ちかけることもあるという春原は、「撮影の度にきついハグをしてくださるんです。すごく優しくて、カメラが回っていないところでも優しくて、この前は撮影中、ペヤングを一緒に食べてくれてすごく嬉しかった。
役がリアルに私みたいな女の子の役だったりして、監督に自分のことを見抜かれているなと思うこともあります」と監督の魅力をしみじみ。
寺崎は監督の作品に長年憧れていたといい、「わたしは監督の面接を受けてからオファーが来るまで、結構間があいて、ようやくオファーが来た時は本当に嬉しかった。『やっときた! やりたかったの!』って」とFAプロへの出演で夢が叶ったと熱弁。
太ももと舌にこだわるというFAプロの一風変わった女優面接については川上も反応し、「太ももチラッと見せて、舌をペロッっと出したら『はい、OK』って。『ちょっとここ病院かな』って思いましたよ」と笑顔で感想を述べた。
ファッションショーでは、川上が「クメールの女戦士」をイメージした兵士姿、寺崎は割烹着の女中姿、春原は若い百姓の娘に扮して会場を沸かせた。
いずれもヘンリー監督が直々にコーディネートして着付けも行ったもので、「昔はメイクさんや衣装さんが雇えない貧乏な時代があって、わたしが着付けから何から何まで全部やっていましたから」と監督は登壇後、照れくさそうにそれぞれの衣装のポイントなども説明。
川上は衣装に絡め、FA作品で使われる大道具や小道具についても「FAプロの撮影ではスタジオにないものは作ってしまったりするんです。小屋とか蔵とか。場合によっては水道まで作っちゃう。水も出るみたいな。最初はびっくりしました」と細部にわたってこだわるスタッフの熱意も紹介した。
監督への質問タイムでは、FAの秘密が次々と明らかになることに。春原が「ヘンリー塚本」の名前の由来について質問すると監督は、
「『凌辱戦線(1985年)』という作品を作った時に、スタッフの名前をみんな英文にしようってことで、その時に初めてヘンリー塚本って名乗ったんです」
と明かし、
「ゴロがよくて、重みがあって、そして将来いい名前になるであろう名前ということでつけましたが、今はそれが本当に自分らしい名前になった。その前は『マツモトケイコ』とかね、『シマダゴイチ』とかね、適当に付けていたんですけどね。名前のせいで、私のことを日本人と思わない人もいらっしゃるみたいですが、れっきとした亀戸生まれの日本人ですよ」
と笑顔で語った。
続いて寺崎が、「今まで撮影した中で一番たいへんだった撮影とか、苦労した撮影ってありますか?」と問う。
するとヘンリー監督は、同じく「戦場シリーズ」の原点的作品でもある『凌辱戦線』を挙げ、
「あの時はスタッフが2人だった。でも出演者は総勢で35人くらい。わたしが朝の弁当から運転、みなさんのお昼の準備から一人でかけずり回って、丸一日、疲れ果てるような思いでやりました」
と振り返る。
創設以来ずっと戦場ものにこだわる理由についても、
「当時、大手メーカーに対して、他社が作れない、作らないものを作ろうということでわたしが選んだのが戦争もの。この細い体でよくかけずり回って撮りました。ロケはいつも千葉県で、サバイバルチームの人たちがそこでよくゲームをやっていて、彼らにも出てもらったりした。千葉は2歳から11歳までわたしが過ごした思い入れのある場所でもあり、『昭和』作品の原点もあそこにある」
と監督。労力をかけてまで戦争を描くことについても、
「わたしの場合はFAの経営者でもありますから、一年に一回、利益を度外視して、戦争ものなど、自分の好みの作品を作るんです」
と説明していた。
川上はFA作品のエンディングで出演者が作中の衣装を次々に脱ぎ捨てながら行う“FAダンス”について、「どんなきっかけではじめたんですか?」と質問。
監督は、「これは思い出深いんですが、ビデ倫がヘアを解禁するという情報が流れた時に、そのヘアを解禁するにあたって、ファンにどんなサービスができるかと考えて試行錯誤の上に考案した」と回答。続けて、
「たまたま『トーク・トゥ・ハー』という映画を見て、その作品の最後に出演者全員がセクシーに腰をゆらして踊るシーンを見て、『これだ!』と思った」
と明かし、「ファンが喜んでくれるので、今も続けています。これからも続けます」とコメントした。
春原はFAのほとんどの作品のシナリオをヘンリー監督が一人で書いていることにも興味津々で、
「普通の監督って脚本書くの悩むらしくって、何日もかかるらしいんですけど、大変じゃないですか?」
と監督に質問。
これにヘンリー監督は、
「わたしの一週間のスケジュールは土・日に台本を書いて、月・火・水が編集、木・金は撮影で、ほとんど休みがないんです。これを30年近く続けてきました。休みがないからどうだとも思うんですけど、長年それを続けてきて、70(歳)を迎えて、体力的にそれが無理になって、今は社員の人たちに本数的には減らしてもらっている」
と述べ、
「台本は2日で書き上げます。長年、スランプに陥ることなく続けてきました。作品を見た人がセックスに至るまでのプロセスを納得してくれるようなリアリティを大事にして作っています」
とした。
会場からの質問にも監督は丁寧に回答し、FA作品の多くで前戯の際、おっぱいを吸うシーンがほとんど出てこないことについて問われると「意図的です」と即答しつつ、
「ほとんどのAV作品が同じパターンかのようにキスからいって胸にっていうね、このパターンが僕は長年嫌いでした。他の監督や他社がやっているんであれば、私はそれはしないぞと、ちょっとひねくれたものの考え方でそうなったんだと理解してください。ただ一年に何回か乳房・おっぱいをテーマにした作品というのも作っています。その中では僕の思いをぶつけるかのごとく、これでもかと思うほど、おっぱいを吸うシーンを入れています」
と説明した。
これからのFAプロや自身の監督業について、
「来年は30周年、僕は71歳になったんですが、このまま、75歳までは頑張るつもりでいようと思っています。それには健康が第一。健康には十分気をつけて、この“75まではやろう”というのを実現しようと思っています」
と展望を明かす監督。
質問大会の締めくくりでは非道徳を描き続けることについても、
「人間、真面目ばかりが人生じゃない。近親相姦とか略奪婚とか夫婦交換とか、世間からは白い目で見られるかもしれないような世界にこそ、ついつい人は足を踏み入れてしまうもので、それを私はずっと心の中に残るようなリアリティのある世界に仕上げてみようと思っています。楽しみにしていてください」
とスピーチした。
最後は現場でも欠かさず行うという、女優陣とのハグや、その女優陣を交えてのFAダンスも披露し、
「お客さんが少なかったらどうしようと思っていましたけど、たくさん来てくださって嬉しいです」
と客席へ感謝の気持ちを伝え、無事盛況のなかイベントは幕を閉じた。
(取材・文=名鹿祥史)