朝日新聞のインタビューの中で神田は、これまでの芸能生活のターニングポイントとして2007年に出演したミュージカル「ウーマン・イン・ホワイト」を上げている。「ファルセットという高音がどうしても出せなくて」と当時を振り返る彼女は、稽古中でも自分のパートに近づくと恐怖に襲われたと話し、「自分の力のなさが悔しくてしかたなかった」ため、毎日悔し涙を流したという。しかし、それでも「生まれや環境など一切関係なくオーディションで判断してもらえる」舞台に強い思いを抱く彼女は、必死で練習し、見事な歌声を披露することに成功した。
神田正輝と松田聖子という大物芸能人を両親に持つ彼女にとって、その環境は単に恵まれたものとして片付けられるものではなかったのだろう。芸能界でも屈指のサラブレットとして知られることに思い悩む時期があったのかもしれない。
「高校を卒業した2005年の春から約1年半の間、神田は芸能活動を休止しています。その期間には、かねてより興味があったという声優の専門学校に通っており、大好きなアニメに関わる仕事がしたいと思っていたようです。すでにバラエティ番組などで披露されていますが、彼女は根っからのアニメオタクとしても有名で、あまり表に出るタイプではないと自分で言うほどです。そんな彼女が2世タレントとして脚光を浴びることに違和感を持っていたとしてもおかしくありません。活動休止をしている間には、母である松田聖子の楽曲の歌詞を書いたり、ロリータモデルとして活動したりするなど、さまざまなことにトライしているので、今後の芸能活動だけでなく、自らの人生についても思いをめぐらせていたのかもしれないですね。そして復帰の際に出演した大地真央主演の『紫式部ものがたり』で舞台の魅力に取り憑かれてしまったようです」(前出)
かつてインタビューで「舞台を自分の居場所にしたい」と語った神田。何の後ろ盾もなく、1人で立ち向かわなければならない舞台を女優業の柱にする彼女には、すでに神田正輝や松田聖子という名前は必要ないのだろう。“女優・神田沙也加”の芸能生活は、ようやくスタートしたところなのかもしれない。
(文=峯尾/http://mineoneo.exblog.jp/)
著書『松本人志は夏目漱石である!』(宝島社新書)