信じたいけれども……人間の感覚の不思議を描いたエロティックオムニバス
タイトルだけ見ると夏目漱石作品のコミカライズみたいですが、違います。「夢」というキーワードをテーマにした、10編のエロティック短編集です。
ある意味夢というのは、最も人間の理性が働かない状態で脳が動いているのですから、これほどまで性に関してむき出しで向き合う状態もないわけです。とはいえ、よくセックスシーンで「ああ、夢みたい!」と言っているのが本当に夢だったら……おや、エロティックではありますが、なんだか妙に喉につかえますね。
夢の良さは、「なんでもかなうこと」であると同時に、「覚めたら終わりがある」ということです。最高の幸せである分、喪失の痛みも非常に大きい。これはなかなか精神的に重たいですね。開き直るに直れません。
ならば、もし夢の中が最高に幸せだったら……そっちにずっと居た方が、幸せなんじゃないだろうか?
例えば、第二夜「いつでも夢を」という短編では、大人気アイドルが突然「せっかく幼なじみが訪ねてきたってのに!」と、部屋に押し掛けてくるシーンがあります。まるで夢のようですよね。展開としては非常にラブコメチックで、「冴えない僕のところにアイドルがやってきた」という多幸感あふれる作品です。
ところがこの作品、ラストシーンで非常にあいまいさを残しています。まず夢のパーツがたくさん散りばめられている。「今ここで、幼なじみでアイドルの子とセックスしている幸せな俺は夢か?」「普通の恋愛をしてみたいというアイドルの夢を描いているのか?」「アイドルになりたいと願った幼なじみの夢は本当にかなったのか?」「夢を見ればかなう、という彼女の歌は夢なのか?」……いろんな夢が交じり合い、混沌としたラストを迎えます。どれが「現実」なのか分かりません。
第十夜の「夢の棲む街」では、読者が誰か知らない少女と線路を歩く体験をすることになります。いわば、読者が夢を見ている状態を描き上げているのです。UFO・交差点・廃墟など意味ありげなアイテムがたくさん出てくる中で、唯一読者とヒロインが「リアル」として共有できるのがセックス。
おそらくひと通り読み終わった後、「現実」なのか「夢」なのか分からなくなる方も多いかもしれません。わざとすっきりしないラストが、多く示されているため異様な後味を残します。しかし、この不思議な虚無感と充実感の入り交じった感覚はある意味、性的絶頂を迎えた時の「ああもう、なんだかどっちでもいいや」感と、果てた後の気だるさに非常に似ています。
夢だろうと、妄想だろうと、現実だろうと。脳がそこに、性的な「幸せ」を感じていたら良いのではないか? と錯覚する、なんとも不思議な一冊。なかなかできない体験だと思うので、ぜひ味わってみてください。
ちなみにこの作者、女性を貧乳(ロリではなく、成長した上で貧乳!)+ショートカットオンリーで描き続けていますので、そこに魅力を感じる人には特におすすめ。
(文=たまごまご/たまごまごごはん)