明治43年の話だ。富山県出身の清次郎(27)という男がいた。3年ほど前から洲崎遊郭(現在の東京・江東区深川にあった遊郭)に通うようになり、ある店の信夫(しのぶ)さんという女性の常連となった。さんざん通いつめたあげく、おそらく現金も底をつき仕事もなくなってしまったのであろう、郷里の富山へと帰っていった。
それでも清次郎、やはり遊郭と信夫嬢に未練があったのだろう、半年ほど過ぎた頃に再び東京に戻ってきた。そして、なじみの店である荒川楼に顔を出して「上がらせてほしい」と告げた。しかし、東京まで来るのがやっとで、遊べるだけの現金は持っていなかった。
「お金がないのでしたら、無理です」
当然、店からは断られる。すると清次郎は、あきらめて帰るどころか、店先でいきなり声をあげて泣き出した。
「お客様、困ります」
驚いた店の者たちが、なだめたり、やんわりと脅かしたりしたものの、まったく動こうとしない。仕方なく、見かねた店で呼び込みをしている金一郎が、遊郭の中で営業している寿司店に紹介して、なんとか仕事ができるように世話した。しばらく働いて、お金がたまったら店に来ればいいというはからいであった。
しかし、それでも我慢できなかったのだろう、寿司店で働きだしてまだようやく20日ほど経った6月22日の深夜2時頃、荒川楼を訪れた清次郎は、おそらく手持ちの現金すべてと思われる4銭を金一郎に差し出して「上がらせてくれ」と頭を下げた。
とはいえ、4銭では妓楼で遊べるはずもない。当時、アンパン1個が1銭、かけそばが3銭程度だったというから、現在の価値になおせば4銭というと400円から500円くらいということになろうか。ソープランドやデリヘルの受付で、500円玉を差し出して「遊ばせてくれ」と言っているようなものである。