大正14年(1925)8月16日の午後2時頃のこと、東京・本所区(ほんじょく/現・墨田区)に住む健二郎の住まいに、同区内に住む友人の鉄雄(33)がやってきた。そして、いきなりこう言い出した。
「夕方まで細君のおしもさんを貸してくれないか」
友人とはいえ、いきなり「お前の女房を貸せ」とは、あまりに唐突でしかも非常識な頼みである。これに対して健二郎は、「二つ返事で承諾」したという。まさに「奥さん貸してくれ」「ああ、いいよ」というようなやりとりだったのではなかろうか。それを聞いた鉄雄は、すぐにおしもを連れて出て行った。
ところが、翌日になってもおしもさんが帰ってこない。健二郎が不審に思っていると、おしもから「もうお前のところには帰りたくない」という旨の知らせが届けられた。
これに驚いた健二郎は、急いで鉄雄の家へと向かった。しかし、すでにそこはもぬけの殻で、鉄雄とおしもの姿はどこにもなかった。思いもかけない出来事に、健二郎は心当たりを片っ端から探し回ったものの、2人の行方はまったくわからなかった。
ここまでの経緯をみると、いくつかの推測ができるかもしれない。たとえば、鉄雄とおしもはすでに以前から不倫の間柄、またはなんらかの関係を持っていて、それが何らかの事情でおしもが健二郎のもとを離れることが困難だったため、このような事態になったのかもしれない。あるいは、おしもが健二郎との離縁を希望していたものの思うようにいかず、夫の友人である鉄雄に頼み込んで脱出を計画したということも考えられる。だが、いずれも憶測の域を出ないものであって、事実や詳細についてはまったく不明である。
さて、妻と友人が行方知れずとなった健二郎は、どんな行動に出たか。5日間も思い当たる場所を手当たり次第に探し回ったにもかかわらず、手がかりすら得られなかった健二郎は、ついに警察署を訪れると、泣きながらこう訴えたという。
「妻を連れ去った鉄雄を横領罪で訴えたいので、手続きを教えてもらいたい」