もちろん、いかに審判所とはいえ、この親族の頼みをあっさり引き受けたわけではなかったようだ。それでも、親族の「悲痛な事情」を考慮した結果、結局は少年への処置を認めたというわけである。
そして、日本医科大学付属病院において、この少年に対して去勢手術が実施された。
この結果について、審判所側は「処分として行われたのではなくまたこちらから病院に依頼したものでもなく」と延べ、去勢手術を「黙認した」と強調している。何とも歯切れの悪いような感じもするが、役所としてはそれが精一杯だったのだろう。
この去勢手術がどのようなものだったのか、そして少年のどのような変化が現れたのかなどについて、詳細は不明である。
ちなみに、人間に対する去勢手術というと、かつて中国で実施されていた「宦官」を連想する向きが多いかもしれない。通俗的な歴史の読み物などには、宦官はベニスなどをすべて切除されてしまうようなことが書かれている。だが、その手法では死亡するケースが多かったため、後世では睾丸を抜き取るのみの方法に変わったと資料に残っている。かの歴史家・司馬遷もこのやり方だったらしい。その様子は、中島敦の小説『李陵』に描かれている。
この宦官は生殖能力を奪うものであって、男性能力はそのままだったと言われている。つまり、妊娠しないだけであって、セックスは普通に実行できたそうだ。そうなると、この保護観察中の少年に対して実施した去勢手術は、どれほど効果があったのだろうか。それとも、成人に比べて身体が発展過程の未成年者については、また違った結果が現れるのだろうか。
興味は尽きない事件ではあるが、当時の新聞記事の取り扱いはそれほど大きくはない。
(文=橋本玉泉)