この供養会は当時の住職が発想したもので、若い頃には遊郭に通いつめ、さらにマスターベーションにふけった時期を長く過ごし、その後、修行の際にふと流れ去っていった精子たちのことを供養しようと思い立ったのだという。
この精虫はその後も年2回のペースで続けられたらしい。精液や精子というものは毎日のように大量に生産されては消え去っていっているはずであり、生命の素として価値あるものと考えられるはずだが、こうした精子を供養する法要は筆者の知り限りほかでは見当たらない。
ちなみに、精液に関する事件としては、明治10年に東京・下谷のある医師が人間の精液の黒焼きを秘薬として来院患者に売りつけていたという。ところがこの医師、リピーターの男性に「精液を採取するため」という口実で男性の妻とのセックスを要求したため逮捕された。
また、20世紀最大の魔術師と言われるアレイスター・クロウリーもまた、精子をネタにいろいろな話題を提供している。たとえば、「多くの赤子を生贄にして儀式を挙行した」などと公表しているが、これも自分の精液を供物として祭壇に供えたものだった。
(文=橋本玉泉)