しかし、黒田は一歩も譲らない。「この作品はフランスの恩師の指導によって出来上がったものであり、私の記念の作品というだけでなく恩師へ思いも深いものだ」と熱弁をふるい、「出品できないのであれば、自分は審査員を辞退する」とまで言い放った。その迫力に他の主催者たちも圧倒され、公開の運びとなったとのことだ。
公開後、『朝妝』はたちまち反響を呼んだ。先の『朝日新聞』をはじめ、主要なメディアは「ワイセツだ」「風紀を乱す」などと作品と黒田を攻撃した。表現の自由や学識、芸術に理解を示すはずのメディアが当局や官憲のように振舞うというのは、この頃からだったようである。その一方で、文化人などからは黒田を擁護する声も続出。近代日本における「芸術か、ワイセツか」という論争は、ここからスタートしたといえよう。
話題になったことで『朝妝』は連日のように人だかり。日本の世相を多く題材にしたことで知られるフランス人画家のジョルジュ・ビゴーも、その時の様子を書き残している。また、ある業者は『朝妝』の絵柄を印刷したハンカチを製作したが、いざ売り出そうとしたものの即座に摘発され、発売禁止の処分をうけてしまったという。
さて、当の『朝妝』はどうなったかというと、博覧会では「妙技二等賞」という評価を受け、住友家が300円という破格の値段で買い取ったという。
その後、裸をめぐる「芸術家、ワイセツか」の論議は現在も続いているのだが、この黒田画伯もこの後さらに「腰巻事件」その他の騒動に関係していくこととなる。それはまた、別の機会に。
(文=橋本玉泉)