98年にドラマ『ATHENA-アテナ-』のヒロイン役としてデビューし、同年の「ヤングジャンプ 全国女子高生制服コレクション」準グランプリに輝いた大谷みつほ。その後、バラエティ番組やドラマ等で活躍していた彼女だったが、09年に突如として芸能活動を休止。そこから3年の月日を経て12年に活動を再開し、昨年には「倍返しだ!」で社会現象を起こした大ヒットドラマ『半沢直樹』(TBS系)にゲスト出演したことで話題になった。そんな彼女がこの度、12年ぶりにイメージDVD『BABY BLUE』をリリースし、なんとセミヌードを披露している。デビュー当時から変わらぬチャーミングさに大人の色気が加わった現在の大谷みつほは、なぜ今回セミヌードを決断したのか。そして活動休止から復活までの経緯とは…。
──まず、デビューしたきっかけから教えて下さい。
大谷みつほ(以下、大谷)「私は三重県の鈴鹿市の出身なんですけど、そこはとにかく田舎で、暇で暇で。それで14歳の時に『私はこのままずっとと田んぼに囲まれて暮らすのかな…』って将来について考えたことがあって、その時ふと『テレビの中に行けば楽しそうだな』って思ったんです。お父さんが映画大好きで、家では毎日映画が流れてるような環境だったっていうのも影響していると思います。そこから、どうやったらテレビの中に行けるのかなって考え始めました。
実家の近所に住んでた加藤紀子さんが名古屋のタレント学校に通ってたことを知って、とりあえずそこに履歴書を送りました。それでタレント学校に中2から通い始めて、中3の春に事務所が決まり、ドラマも出られることになって…。そしていざ上京したら、訛りがひどくて標準語が全然話せなくて、監督にボロッカスに怒られてたっていうのが最初です」
──デビューから現在まで何度か芸名を変えていますよね。それにはどんな理由が?
「最初は本名のままで『大谷允保』だったんですけど、ドラマが決まった時に読みやすいようにしたいってことで名前を平仮名にして『大谷みつほ』になったんです。その後、23歳の時に役者をやりたいっていう気持ちが強くなって、平仮名だとアイドルっぽくて嫌だなって思ったので、また漢字の『大谷允保』に戻しました。それで休止期間があって、今の事務所に入ったタイミングで、やっぱり平仮名の方がわかりやすいよねってことになって今は『大谷みつほ』です。平仮名の方が画数は悪いんですけどね。平仮名でも漢字でも仕事が入ってくる量は変わらなかったし、別にもういいかなって(笑)。今でも、どっちの表記? ってよく聞かれますね」
──今回リリースしたDVD『BABY BLUE』では、そんな『大谷允保』の頃の大谷さんのイメージからは想像がつかないような大胆な露出をされていますが、なぜセミヌードを披露しようと思ったんですか?
大谷「お仕事もらったらそのままやるスタイルなので(笑)。というのは言葉が乱暴かもしれませんが、事務所の人が私に『こういうオファーが来た』と言ってきた段階で、少なくとも“事務所のジャッジ”は通過していると思っているんです。だから、事務所がそう判断した仕事は、もちろん仕事内容をきちんと考えてですが、ちゃんと受けたいと思っているんです。
今回のDVDは企画の段階から参加してて、コンセプトはもちろん衣装をどういったものにしようかなども含め、“無理せずできるところまでやりましょう”というお話だったんで、そんなに思い切って脱いだつもりはないんです」
──「セクシー路線に変更?」と勘ぐってしまうようなきわどい露出でしたけど……。
大谷「それはフライデーさんがヌードとか書いてたから、“すごい脱いだ!!”みたいな印象になったんじゃないですかね。私もあとから『もしかして脱ぎすぎた?』ってちょっと思いましたけど(笑)。久々のDVDで大人になったっていうイメージをつけたかったので、セクシーな感じにしたかったんですよね。撮影ではMな人妻を演じて、目隠しされたり手首を拘束されたりしたんですけど、ボンデージとかじゃなくキレイなドレスを着てるのでそこまでどぎついものでもないかなと思います」