「夜這い」という言葉と慣習を昭和末期から平成にかけて掘り起こした人物として、赤松啓介の名を思い出す人も多いことだろう。
赤松は明治42年(1909)、兵庫県加西郡下里村(現・加西市)の裕福な造り酒屋に生まれた。やがて家業は没落、赤松は母子家庭で貧困にあえぎながらも高等小学校を卒業する。その後、証券会社の下働きをはじめとして、果実店や露天商、町工場など下層社会での職を転々とする。
赤松が民俗学に興味を持ち始めたのは、17歳のときだった。その頃、肺を患って故郷で静養している際に、ひまつぶしに近所の古墳を訪ね歩いたり、古くからの慣習を聞きまわったりしているうちに、庶民の生活や土着文化への関心が高まっていったという。
その後、当時はまだ非合法であった日本共産党に入党し、農村部で活動するようになる。この時、後に多くの著述の核となる夜這いその他の庶民の性に関する慣習や文化についてのフィールドワークを進めていった。
赤松の特徴は、性について積極的に注目している点である。柳田國男による権威的な民俗学では、権力体制やセックスについてほとんど無視されてしまっている。柳田は膨大な著作を残しているにもかかわらず、性に関する記述はごくわずかであり、しかも深く追求されることはほとんどない。
こうした柳田をはじめとする民俗学の権威主義に赤松は猛然と反発する。そもそも、庶民の生活や文化を語る上で、セックスを抜きにして考えることなどありえない。にもかかわらず、どうみてもセックスの問題を故意に無視しているとしか感じられない柳田民俗学は批判されるべきであると赤松は考えた。
そして、赤松がこだわったのは、夜這いをはじめとする庶民の性慣習である。夜這いとは「呼ばう」という動詞から派生した語で、その起源は古い。だが、平安時代における貴族社会での「よばい」と近世・近代に行われていた庶民の「夜這い」は別のものである。赤松はこの夜這いその他の慣習が日本各地の庶民の間で続けられていた事実について実体験を含めたフィールドワークによって紹介し、性を抑圧しようとする体制的な権威に対抗した。