「この本を企画する前から、西洋の拷問器具の中には使用された正式な記録や図像のないものが多数含まれていていることは知っていたんです。私自身はSM系の作家であって、拷問に精通しているわけではないんですが、それでも“この道具はちょっとあり得ないんじゃないか?”と思うような拷問方法や拷問器具がけっこうあった。例えば『鉄の処女』や『苦痛の梨』などです。それなのに、ヨーロッパや南米にある拷問博物館では、そうした器具が幾つも飾ってある。これは、いわゆる河童のミイラと一緒で、ニセモノを作る職人がいたんじゃないかと想像していたんですよね。それで、この本の執筆を松代守弘氏に依頼する段階で“本物とニセモノはできる限り分けてください”というお願いをしました」
それでは、調査によって本物とニセモノの区別は付いたのか?
「残念ですが、完璧ではありません。そもそも、拷問に関する文献や裁判記録で原本にあたれるものが極端に少ないんです。たとえば、日本では江戸期に書かれた拷問に関するまとまった文献が、実質的に1冊しか無い。後はその本の写本だったり、断片的な記録しかありません。ところが、明治を過ぎると拷問に関する本がどんどん増えてくる。その中には、江戸末期の奉行所に務めていた人たちからの聞き書きもあるんですが、大半は作者の憶測だったり又聞きだったりするんです。こうした状況はヨーロッパでも同じですね。特にあちらでは、キリスト教内でカソリックとプロテスタントの対立があるため、当時カソリックの中心地だったスペインをこき下ろすプロパガンダとして、残酷な拷問を行っていたという嘘がプロテスタントの国で繰り返し出版されます。だから、たとえばイギリスの文献を調べると、やたらと『スペインの長靴』ですとか『スペインの××』という拷問器具が出てくるんですが、それらの大半は実在したかどうかが怪しいんです」
それでは、現在でも実際に行われている拷問と実在しない拷問の区別は曖昧なのか?
「1930年代に旧ソ連で行われた大粛正の最中に行われた拷問や、最近ではイラク戦争後にアメリカがアブグレイブ刑務所で行った拷問には比較的信用がおける記録も多く、確実視されている方法も少なくありません。ただ、それでも政治宣伝として利用されている拷問も未だに多数あります。それらをより分けるのは難しいですね」
それでも、虚実を分けた本を出版することに意味があるのだろうか?
「私は意味があると思います。少なくとも、私は本当にあったかどうかを知りたいですね。もちろん、だからといってファンタジーとしての拷問を否定するつもりはまったくありません。むしろ、現実に無かった拷問では被害者もいないわけですから、そっちの方が良いですよね(笑)」
(文=林田潤)