その一方で、情報通信技術の進歩とともに歩んできた世代であり、当たり前のようにインターネットに触れてきた。インターネットは、一歩足を踏み入れればそこかしこに情報が転がっている世界であり、そこで多くのネット情報に触れてきた彼らは自分の置かれている立場を理解し、将来の見通しも現実的に考え悟ったようになったのだ。
彼らの先に見えている将来というものは、おそらく、わくわくするような楽しいものではないのだろう。不景気しか知らない彼らに、「アベノミクスで景気が良くなりつつある」と言ってもリアリティを感じることはできないのだ。不景気に慣れてしまったがゆえに、将来への展望も見えず、不安感が募るばかり…。さとり世代にとっては、無駄な努力や衝突を避け、浪費をしないで合理的にかつ安定して生きることが真理なのだろう。
団塊の世代のお家芸でもある「飲みニケーション」がさとり世代には理解できないのも明白。会社の人とのコミュニケーションは就業時間内に取るものであって、定時を過ぎてから深めるものではない、という考え方だ。バブル世代にありがちな「たまにはキャバクラでも行ってパーッと遊ぼうぜ!」というお誘いだってさとり世代には苦痛である。話し相手すらネットで気軽に探せる時代に、大金を払って女の子と話す意味がわからない、と言われるのがオチだ。こうなると団塊もバブルも「さとりがなに考えてるかわからん」となってしまうが、さとり世代と距離を縮めたいのなら、本音を言いやすい環境を作ることが大事。争いや衝突を避けるさとり世代は「どうせ言っても聞いてくれないから無駄」と端からあきらめている場合が多いため、団塊やバブル世代は否定することなく(これが一番肝要)、真摯にその意見に耳を傾け、信頼関係を築くことから始めてみよう。
「さとり」とはいえ、本当にすべてを悟っている若者が多いわけではない。ただただ将来が不安で恐怖心のほうが勝り、結果としてあまり多くを望まなくなってしまっただけなのだろう。しかし、「出る杭は打たれる」ことに恐れてばかりはいられない。やりきれない時間ばかりをただ過ごすのではなく、「さとり世代」にはこれからの未来を紡いで行くことを忘れてもらいたくはないものだ。
(文=三坂稲史)