明治や大正の時代の新聞をめくってみると、心中事件の記事が数多く掲載されている。多くは20代の若いカップルで、普通の勤め人を始め、男子学生とカフェー女給、学生同士などのほか、中年の不倫カップルの心中という事例もみられる。当時は心中事例がとても多かったようで、記事には「実に嘆惜に堪えざるなり」と嘆く表現や、あるいは心中を愚行と批難するようなコメントが添えられている。
心中の方法だが、物理的で壮絶なものがほとんどだ。すなわち、刃物や拳銃を使ったものや、鉄道列車への飛込みが目立つ。「20代の男女が抱き合ったまま列車に飛び込んだ」などといった記述もよく見かけるし、明治34年3月20日の東京・王子での飛び込み心中を報じた『東京朝日新聞』の記事では、男性については「頭部を粉砕し胴は裸体のまま1マイル9チェーン先まで引かれて」などと、生々しい描写もある。こういう点が、当時のメディアである。
そんな心中事件のなかには、ちょっと変わったものも少なくない。明治7年5月3日の『東京日日新聞』に「変態心中」なるタイトルの記事がある。川岸で20代男性と17歳くらいの女性の心中とみられる遺体が発見されたが、それぞれ性別が逆の着物を着ていた。つまり、男性が女物の着物をつけ、女性は男の衣装を着込み、下着も腰巻ではなく白木綿のふんどしをしめていた。2人は互いの身体を細い帯で結び合わせていたというから、心中とみるのが自然であろう。