以前、当サイトで瀬戸内海のある島ではセックス未経験の少年たちに対して、経験を積んだ婦人たちがセックスの手ほどきをするという「童貞開き」という風習があったことを書いたことがある(※少年にセックスの手ほどき「童貞開き」の慣習)。だが、そうした慣習はけっして珍しいものではなく、むしろかつての日本では全国至るところで行われていたようである。
たとえば、江戸時代には「介添女」または「介添女房」というものがあった。井原西鶴の作品『好色一代女』などにも登場する。国語辞典などには「嫁入りする娘に付き添っていく女性」などと説明されているが、では、嫁入り先までついて行って、いったい何をするのか。花嫁の身の回りの世話、ではない。花嫁が新婚生活に馴染むまで、花婿に夫婦生活すなわちセックスの指導をするのである。それも、助言やアドバイスなどではない。もっと直接的な実技指導、つまり実際に新郎とセックスするのである。
技能の取得に最も有効なのは、体験と反復であることはいうまでもない。先人たちは、それを何よりも理解し、そして具体的に実践していたのである。
そうした「直接的指導」は、明治維新後も形を変えつつ受け継がれた。そのひとつが先述の「童貞開き」であろう。
また、夜這いといえば同世代の少年少女が対象となることが多いが、なかには年長の女性が少年に性的な実地指導をするケースがあったようだ。処女に男性がセックスを教える慣習は、「スケワリ」「ハチワリ」(山陰地方)、「十三サラワリ」(九州)などのように各地にみられるが、同じように経験を積んだ既婚女性などが指導役となって、童貞の少年たちに実際の行為を教えるのだ。その際も、指導役の女性はあらかじめキチンと決められており、対象になる少年も年齢その他をクリアして許可された者に限られる。そして、年長者が「お前は15歳になったのだから、いついつの夜にどこそこのオバサンの家に行け」という具合に指示するのが大半のようだ。少なくとも、何のルールもないということは考えられない。このようにかつての日本では、相応の年齢になれば、セックスを経験することが許可され、そして指導のもとに経験することができ、あるいは経験を指示されるようなシステムが存在していたことは数々の資料から明らかである。
ところが、明治維新以後にはこうしてシステムが次々に壊されていく。とくに都市部では、大正期頃までにはほとんど姿を消してしまったようだ。そのため、20歳をかなり過ぎても童貞のままという男性が多くなっていった。そして昭和8年、28歳の男性が「童貞だから」という理由から結婚が怖くなり、披露宴直前で逃亡するという事件が起きるのである。
(文=橋本玉泉)