日本の伝統的な性道徳の中で、処女というものに対してなんの価値もなかったことは何度か紹介した。この感覚は、日本の歴史や民俗学を学んだ者であればいわば普通に知っていることであり、「純潔」などという倫理観が生じたのは明治時代以降であることも、また常識的なことである。
かつての日本の地域共同社会では、セックスは生活の一部として非常に重要なものであることをだれもが理解していた。子孫繁栄のための生殖活動としてだけでなく、実生活の上での楽しみ、趣味や娯楽であることが肯定されていたのである。そして、思春期ともなれば性に対する関心が高まり、衝動も起きるようになるのが当然で、それを抑圧すれば、精神的にも生活の上でも不都合が多くなることを皆が経験的に知っていた。
すなわち、思春期の性衝動を押さえつければ、欲求不満がつのり、爆発すればとんでもないことになる。それに、かつては20代くらいで結婚する者が多かったわけだが、それ以前に性的経験を積んでいたほうが何かと好都合だった。セックスとは技術であるから、訓練によって上達する。セックスに関して事前にトレーニングを重ねることは、よりよい夫婦生活を送る上で大変に重要なことであった。これは、セックスを経験したことのある者ならば、瞬時に理解できることだろう。
だから、かつての日本の地域社会ではほぼ全国において、年長者たちの指導によって、10代の若年男女に対する性的な実践トレーニングが施された。
その手順や方法は地域によってさまざまだ。たとえば、今日の成人式のように、年齢を決めてセックスの体験を促すというパターンがある。この場合、女性は13歳から15歳、つまり初潮の頃またはそのあとの頃に、性交渉が解禁、または奨励されるというものだ。地域での集会所である「若者宿」や「遊び宿」などでの性行為が許されるほか、地域内で決められた男性担当者が該当する少女たちにセックスを体験させるというケースもある。具体的には、和歌山県では「13歳から14歳の女性に高齢の男性が行為を教える」ほか、福岡県南部で行われていた「ボンボボ」という儀礼も同様の内容だったらしい。島根県東部では13歳の女性が対象だったことから「13ハチワリ」と称していた。長崎県の一部で続けられていた「13サラワリ」も同じ慣習と考えられる。
また、何かの行事やイベントに関連させてセックスを勧めるパターンも少なくない。以前に紹介した兵庫県神戸市にあった「雑魚寝堂」での、大晦日の慣習などもそのひとつである。ほかには、「祭りの夜、まだ処女である者はセックスを経験すべし」という慣習があったという地域も少なくない。祭りという行事をひとつの目印とし、さらに祭りという場の精神的な高揚が実行を促した効果もあろう。
もちろんこの場合も、処女であれば無理やり行為を強要してもよいということでではなく、あくまで本人同士の合意のもとにである。この手の慣習や儀礼を紹介すると、しばしば無秩序な乱交状態をイメージする人がいるが、資料や関係者の証言によれば、まったくそのようなことはない。一見すると無法なことのようだが、実際には指導的立場にある年長者、高齢者によって厳しく指導監督されているのである。
ともかく、現実的、実践的な生活が優先される共同社会では、10代のうちからセックスを経験的に習得することは、権利というよりも教育であり義務であったといえよう。
(文=橋本玉泉)