現在放送中のNHK大河ドラマ『八重の桜』でも描かれているように、200年以上続いた鎖国の時代に終止符が打たれ、海外の文化が入ってくるようになって以来、私たち日本人のライフスタイルはまたたく間に欧米化した。日常生活が和装の人はほとんど見かけないし、食生活もパンや牛肉を食べるのが当たり前の時代である。
とは言え、古き良き日本の文化が失われたわけではない。例えば、「お返し」の文化。日本には、「お返し」を重んじる文化がある。何らかの贈り物を受け取ったら、相応のものでお返しをするという習慣だ。香典返しのような冠婚葬祭の折は当然のこと、お中元・お歳暮を貰いっぱなしという人は少ないだろう。
この、お金や物品にまつわる「お返し」の習慣は、日常生活にも浸透している。過去に恩義を受けた人物に対しては、今後何かあった時に自分が力になりたいと思う義理堅さが、日本人にはある。
では、セックスシーンにおいてはどうだろう? 相手がしてくれた行為を、自分も返すべきなのか。もっともわかりやすい例が「フェラチオ」だ。ひと昔前までは、特殊嗜好を持つ一部の人だけが嗜むマニアックなプレイという認識が強かったが、性に対して開放的になった現代では、前戯の定番メニューになった。今どき、フェラチオを拒む女性など聞いたことがない。さて、フェラチオのお返しとなると、クンニリングスということになるが、クンニリングスはフェラチオに比べてハードルが高いというのが正直なところ。男性器は、身体の外側に飛び出した構造だが、身体の内側に入り込んだ構造の女性器は匂いがこもりやすい。また、事前にシャワーを浴びたにもかかわらず、どうにもこうにも舐める気分になれない女性器も存在する。そういったグロマンにあたった場合でも、「お返し」を重んじる日本男児としては、クンニリングスをするべきなのだろうか?
一般男性に、「グロマンでもクンニリングスのお返しはするか?」という問いを投げかけたところ、Yesと答えたのは1割だった。いやはや、実に正直な結果である。ほとんどの男性は、「本命のカノジョなら頑張る気になれるが、行きずりの女性がグロマンだった場合は遠慮したい」というのが本音のようだ。
中には、「フェラチオしてくれなくてもいいので、自分にもクンニリングスを求めないでほしい」と主張する男性もいて驚かされた。「ホワイトデーのお返しが面倒なので、バレンタインチョコはいりません」という感覚だ。ある意味、義理堅いともいえる。「お返しでクンニリングスができないので、フェラチオも遠慮させていただきます」という姿勢は、道理にかなってはいるが、少々味気ない気がする。
女性側からの「お返し」に困惑する男性も存在する。フェラチオが、前戯の定番メニューであるのと同じように、「男性が女性のオッパイを舐める」のも当たり前の行為という認識が強い。そのこと自体は苦痛ではなく、むしろオッパイ舐めは大好きな男性でも、女性から乳首を舐められるのは苦手な人もいるようだ。「女性誌などのセックス特集で、男性の乳首も性感帯と声高に叫ばれている影響か、乳首を舐めてくる女性が増えてきているが、舐められてもくすぐったいだけで、むしろ萎える」と苦言を呈する男性も。とは言え、女性側が良かれと思ってやってくれている行為を無下に断わることもできないと、頭を抱えているのだとか。
女性陣にも、セックスにおける「お返し」について意見を求めたところ、「アナル舐め」がダントツトップだった。「男性にアナル舐めされるのは好きだが、お返しに男性のアナルを舐めるのは抵抗がある」とのこと。いやはや、女性とはゲンキンな生き物である。確かに、女性に比べて男性のほうがOゾーン(肛門周辺)の毛が多いので、舐めづらいという理由も関係しているかもしれないが。
お中元やお歳暮の「お返し」と、セックスにおける「お返し」の価値観はずいぶん異なるようだ。「お返し」を当然と思ってはいけないが、「どうせ返ってこない」と決めつけてプレイを出し惜しみすると、セックス自体がつまらないものになってしまう。「返ってこなくても、総体的に気持ち良ければOK」と、積極性を持ってセックスに臨みたいものだ。
(文=菊池 美佳子)