「いもりの黒焼き」といえば、わが国では古くから媚薬として用いられたものである。どれほど昔からであるか詳細は不明だが、806年から809年頃にまとめられたとされる日本最古の医学書『大同類聚方』に医薬品の材料としていもりの黒焼きに関する記述があるというから、少なくとも平安時代初期にはすでにその効能が知られていた可能性がある。
その後、いもりの黒焼きは媚薬の定番として、医学関係の資料だけでなく、さまざまな文献に登場するようになる。肥前平戸藩主の松浦静山による随筆集『甲子夜話』にも、いもりの黒焼きを使った事例が載っている。ただしその内容は媚薬としてではなく、ある侍の男が主君に使ったところ、それまで嫌われていたのが一転、気に入られて出世したというもので、用例はやや異なる。
ちなみにこのいもりの黒焼きの使い方だが、細かく砕いて粉状にしてから、意中の相手にふりかけるだけという、非常に簡単なものである。
さらに時代が下って明治時代になっても、依然としていもりの黒焼きは媚薬の代表だった。天下の「朝日新聞」にも堂々と広告が載っていたし、昭和初期になって精力剤がブームになった時には、いもりの黒焼きだけでひと財産作った業者まで現れたらしい。
さて、時代は明治16年のこと、大阪・堺に利三郎(23)という男がいた。この男、女性を見れば「直に涎(よだれ)を流す」というほどの女好きだったが、当の女性たちからは無視されてばかりという、なんとも寂しい毎日を送っていた。
そんな状況をなんとかしたいと思っていた利三郎に、ある時ひとりの友人がいもりの黒焼きのことを教えた。「そいつを振りかければ、オンナはお前の言いなりだ」と。それを聞いた利三郎、さっそく買い求めようとしたものの、ちょうどその頃、行政によっていもりの黒焼きの販売が禁止されていた時期だった。
しかし、それであきらめる利三郎ではなかった。友人からその製造手順を聞きだすと、小川でびしょ濡れになりながらイモリを捕獲。それを持ち帰ると自分でいもりの黒焼きを作ってしまった。
努力の末に夢の秘薬を手にした利三郎は、その黒焼きの粉末を懐に忍ばせて街に出ると、すれ違う女性に手当たり次第にふりかけた。ざっと30~40人ほどの女性に試してみたものの、まったく効果なしという結果だった。
怒った利三郎、友人に「だましたな!」と詰め寄った。するとその友人は、笑いながら言った。
「それはお前の使い方が間違っている。着物の上からふりかけても、効くはずがない」
これを聞いた利三郎は、近くの銭湯に忍び込むと、入浴中の一人の若い娘に目をつけた。当時、まだ公衆浴場は混浴が当たり前だった。そして、その娘が湯から出て身体を拭いているところを、いきなり前にはだかると、彼女の体に例の黒焼きの粉をバッとふりかけた。
急なことで彼女は驚いたが、ふと気がつけば、せっかく入浴してキレイになった身体が、ヘンな粉で真っ黒に汚れている。
「キャー、何をするの!」
たちまち彼女は泣き叫び、利三郎は客たちに取り囲まれてしまった。そして結局、利三郎は娘の親に怒鳴りつけられ、ひどく叱責されて、ただ頭を下げるばかりだったという。女性を言いなりにできるどころか、とんだ恥をかいたわけである。
ちなみに、いもりの黒焼きについてだが、支持と人気があった反面、江戸時代の頃からすでに庶民の間でもあまり信用されていなかったようで、「眉唾もの」として揶揄する川柳や小話も多い。最近ではマンガ『もやしもん』(著:石川 雅之/講談社)の19話、22話にも「効果のない媚薬」として登場している。
(文=橋本玉泉)