大正元年9月2日の深夜、東京の小石川区(現・東京都文京区小石川)の住宅で、30代の男性が殺害され、一緒にいた若い女性も重傷を負うという事件が起きた。犯人はその家に住む市川(54)という男で、殺害されたのは早川(31)といい、重傷を負ったのはさと(17)で、市川の義理の娘だった。
実は、市川は最近再婚したばかりだったが、その結婚相手のこと(45)とさとは、親子でありながら早川と2人して男女の関係、俗に言う「親子どんぶり」の状況にあり、しかも4人は同じ家に同居していたというのである。
早川は神奈川県に生まれ、鉄道職員として働いていた。ところが25歳の時、勤務中に機関車にひかれて右足を切断。働くことができなくなった早川は、鉄道院から支給される保証金でバクチに明け暮れる生活に堕落してしまう。そればかりか、妻を風俗に売り飛ばしては、そのカネでバクチや女遊びに興じる有様だった。そんな怠惰な生活のなかで知り合ったのが、ことの夫であった石原という男だった。
さて、早川はもともと色白の美男子だった。そんなイケメンに参ってしまったのか、それとも早川が女の扱いに手馴れていたのか、詳細は不明だが、ことは夫がいる身でありながら早川と不倫関係になってしまう。しかも、ほどなく娘のさとも早川と男女の関係になった。やがて夫である石原が死去すると、ことは妻を亡くして相手を探していた市川を知人から紹介され、さとを連れて再婚する。
ところが、こととさとの親子2人は早川との関係を解消することはなく、そればかりかこともあろうに、ことは早川を呼び寄せて同じ家に住めるように市川に懇願した。「親せきに体の不自由な、気の毒な男がいるので下宿させてもらいたい」とでもだましたのであろうか。市川の住居は二階建て一軒家で、使っていない部屋があった。そして結局、市川はこの再婚相手の頼みを聞いてしまう。やがて早川が神奈川からやって来て、その家の2階に住むようになった。
それからは、市川にとっては苦悶の日々であった。早川が来たその日から、こととさとは市川のことなどほったらかしで、2階にある早川の部屋に入り浸り、昼夜の関係なく、3人からみ合いもつれ合い、現在でいう3P状態。市川は驚きあわてたもののなすすべもなく、2階から聞えてくる妻と義理の娘のあえぎ声に悶々とするばかりだった。
しかし、そんな生活が我慢できるはずがない。「あの早川とかいう男をなんとかしなければ」と思いながら、市川は近所の飲み屋で酒を飲んでいた。そして深夜2時頃に帰宅すると、妻のことは1階で眠っていたものの、2階では早川とさとが例によって大騒ぎ。
「もう我慢できん!」
酒の勢いも加わって怒りが頂点に達した市川は、家にあった包丁を手にして2階に駆け上がり、早川の部屋に飛び込むと、布団のなかで全裸のままからみ合っていた早川とさとに襲いかかった。そして、早川の胸に包丁を力任せに何度も繰り返し突き刺した。悲鳴を上げて逃げようとするさとを制止しようとして、彼女にも包丁でケガを負わせた。
犯行後、市川は警察に自首。早川はほぼ即死だった。さとも切りつけられて重傷を負っていたが、命に別状はなかった。
痴情にのめりこんだ女性のケースは珍しくないが、母と娘そろってというのはそうざらにある話ではなかろう。それにしても、早川ら3人にうまく利用された市川は、うかつではあろうが、哀れという気がしないでもない。
(文=橋本玉泉)