フィリピン在住・ことぶき太郎が綴る、フィリピーナの魅力発見
「快感体験観察日記第10弾!」
日本では、いじめの問題が一向に無くならないようだ。オレ達の子供の頃にも、いじめはあった。しかし、死を招くようないじめは無かった。いじめっ子もいじめられっ子も、その立場をわきまえていて一緒に遊んだし、中立な友達がいてガキ大将がいた。
子供だけで、ひとつの社会を形成していたと言っていい。
遊んでいて誰かが怪我をしたら、家に知らせる奴・看護する奴・近所の大人に知らせる奴など、役割が自然と決まっていたものだ。それが大人になって、どれほど役に立っているか。
今のいじめは、子供の問題ではない。
補導したり、逮捕してすむわけではないだろう。社会が悪いと、世の中のせいには出来ないだろう。大人が、大人の健全な社会を形成できないのだから、子供に出来るはずがない。
ひとつの命が消えても、いじめとは認識していなかっただと。
人間として、生きることの価値を教えられない、親が悪い。先生が悪い。周りの大人が悪い。
大人の世界にも、いじめはあるだろ。金持ちが貧乏人をいじめ、権力者が非権力者をいじめる。身に覚えが、あるはずだ。それでも、わからないのだ…何が大切なのかを…。
もっとも、それがわからない馬鹿大人ばかりだから、子供に教えることが出来ないでいるんだろうけど。
フィリピンに、いじめはない。いじめのような、ジョークや言葉は吐く。だが、しつこい陰湿ないじめはないし、いじめられてもいじめ返すことが出来る。
「や~っ、まいっちゃたな~」
で、ほとんどが済ませられる。
2年ほど前に知り合って、やっちゃったお姉ちゃんは、いじめられっ子だったと言っていた。
確かに、物事を決めるのが遅いし、話し方も遅い。一緒に食事をしても、遅い。着替えるのは遅い、歩くのは遅いと何をやっても遅い。いじめられる要素はある。
だけど、その遅いのがオレに、すごい快感を与えてくれた。話が、どうしてもそこへいくな、へへへっ…。
当たり前だ、快感体験観察なのだ。