フィリピン在住・ことぶき太郎が綴る、フィリピーナの魅力発見
「快感体験観察日記第9弾!」
日本人は、正直なようで嘘つきである。
フィリピン人は、嘘つきのようで正直である。
日本人はいろいろな本を読んだり、いろいろなドラマをテレビなどで見たりするが、自分で演じるのは下手くそだ。フィリピン人は本も読まず、同じようなテレビドラマしか見ないのに、自分をドラマチックに演じるのが上手い。オンナは特にそうだ。そこに、生き方や考え方の違いも生じてくる。
正直に話したつもりで、自分を守るために、バレてしまうような嘘をついて自己嫌悪に陥るのと、自分を守るための嘘の中に真実を入れ、リアルなドラマを構成して事実を作り、達成感を得るという違い。
分かってもらえるかなぁ。
嫌悪感が隠された明るさには暗さがあり、偽りのドラマを演じた後の達成感に嫌悪感はなく、明るさがある。といえば、少しは分かってもらえるかもしれない。
フィリピーナは陽気で明るい。毎日をドラマチックに生きていこうとしている。それが、悲劇のヒロインでもいい。ラストシーンはハッピーエンドなのだから(夢のドラマの上では)。
目的もなく存在価値も見失って、生きていながら死んだような状態でいることを良しとしない。怠惰で時間にルーズで、噂話に仕事を忘れても、今という時を楽しんで生きる。それが、フィリピン魂だ(ちょっと大袈裟かな)。人をいじめたり、うつ病になっている暇はない。ドラマ作りに忙しい。
だからか、セクシーなスタイルをしても、セックスアピールはあるがエロっぽくはない。隠された色気の中にも、明るさがある。エロを強調したり、粘りつくような色気はない。今をアピールすればいいのだから。そこが、日本人と違うところだ。
2年前、クリスマスが近づいた頃、あるスナックで、若いお姉ちゃんと知り合った。
中流以上の家庭のコのようで、親の脛をかじっているのだろう、無職なのに結構金遣いが荒かった。
20歳という若さもあり、遊び相手とは考えなかったが、歌が上手く軽いジョークとそのタイミングがオレ好みだったので、時々誘い合って一緒に飲んで遊んでいた。
ある時彼女は、オレに「クラッシュした」と言った。セックスの対象ではなく、あくまでもファンという意味で、勘違いをしてはいけない。しかし、ジョークや会話ではセックスネタが出る。きわどい表現も使うが、日本人が言うようないやらしさはない。フィリピン人は、明るくセックスをネタにして、笑いをとるのが好きだ。
ある日、その手のネタで大笑いしたあと、
「あたし、まだ経験がないの」
と真剣な顔をした。
小柄だが大きめのおっぱいと、細く締まったウエストから小さめのヒップにかけてのラインが、前から見ても横から見ても、もちろん後ろから見ても、魅力的な子だった。自然の小麦色の肌がきめ細かくて、眼が大きくまつげが長く、手足のバランスもいい。連れて歩いても、恋人にしても申し分ない。
その彼女が、オレの顔を見て、
「セックスってどんな気持ちなの?」
と尋ねる。
その気のなかったオレは困った。ふた回り以上も歳の違う子から目で誘われても、答えに困ってしまう。だが、フィリピーナに、歳の差は関係ない。
「若いんだから、チャンスはいつでもあるよ。いい人ができるよ」
という、お爺臭い話にも耳を傾けない。経験させてくれといってきかない。仕方なく(心では、しめしめと思っていた…はずだ)、やることにした。