事件から』著:伊波 洋一/創史社
去る10月16日に沖縄で起きた2人の米軍兵士による成人女性に対する強姦致傷事件は、地元はもとより全国から注目されている。沖縄では戦後、米兵や軍関係者による同様の事件が後をたたない。その事例としては、次のようなものがある。
◎1950年2月17日夜11時過ぎ、帰宅途中の28歳と32歳の女性を米兵2人が自動小銃で脅して連れ去り、それぞれ6時間以上も拘束され、28歳女性は8人の米兵に、32歳の女性は6人の米兵に、それぞれ代わる代わる強姦された。
◎1952年3月25日午後7時ころ、安里に住む21歳女性の自宅にいきなり米兵が押し入り、女性をレイプして逃走。しかもその約1時間後、同じ米兵が再び現れ、女性の暴力を振るってからさらにレイプして逃走した。
◎1955年9月5日早朝、嘉手納基地内の海岸で軍のガードが幼女の変死体を発見。被害者は中頭郡に住む6歳の少女で、検視によってレイプされた上に殺害されたものとわかった。CID(アメリカ軍犯罪捜査部。現・NCIS、在日米海軍犯罪調査局)などの捜査により、同基地所属の31歳軍曹による犯行と判明した。
◎1959年3月17日夜10時ころ、那覇航空隊付近で20歳の女性が米兵にレイプされ路上に置き去りにされる。
◎1969年2月22日の夜、コザ市(現・沖縄市)に住む21歳の女性が全裸の絞殺遺体で発見される。目撃証言などから、米砲兵連隊所属の兵士が逮捕される。
◎1972年8月4日、大謝名に住む37歳の女性が自宅で全裸遺体となって発見される。死因は絞殺で、18歳の米兵の犯行。
◎1995年9月4日午後8時頃、20代の米兵3人が共謀し、沖縄本島北部で買い物帰りの女子小学生を拉致。レンタカーに押し込んだ後、粘着テープなどで身体の自由を奪ってから、交代でレイプ。計画的な犯行。
◎2001年6月29日深夜2時頃、北谷町で24歳の米兵が帰宅中の20代の女性を駐車場に停めてあったクルマのボンネットに押さえつけて、その場でレイプ。
◎2008年2月10日夜10時過ぎ、38歳の米兵が北谷町の路上に停めた車内で14歳の女子中学生をレイプ。
◎2010年8月4日の午前4時頃、那覇市内のアパートに28歳の米兵が侵入し、帰宅したその部屋に住む20代の女性を背後から襲い、レイプしようとしたものの、物音に気づいた近隣住民の通報に気づき逃走。約15分後、近くをうろついているところを駆けつけた警官によって強制わいせつの容疑で逮捕。
◎2012年8月18日午前4時30分頃、那覇市内の路上で21歳の米兵が40代の女性に襲いかかり、引き倒すなどして手や頭にケガを負わせたうえ、わいせつな行為を強要。近所の住民の通報により駆けつけた警官が取り押さえて逮捕。
上掲の事件は、米兵や米軍関係者による犯罪・非行のごく一部に過ぎない。被害者の証言などから明らかに犯人が米軍関係者だとわかっていながら、証拠や目撃者が不十分なために迷宮入りしてしまった事件は多く、さらに、容疑者が帰国してしまうとそれ以上の追及が難しく、十分な捜査ができないままウヤムヤにされてしまった事件も少なくない。
また、この手の犯罪だけでなく、沖縄ではこれまで米軍関係者による暴行や傷害、窃盗、強盗、家宅侵入、放火、公然わいせつなど、さまざまな事件が起こっている。さらに、これまでは米兵がらみの事件というと在沖縄米軍の関係者がほとんどであったが、10月16日に起きた事件はテキサス州のフォートワース海軍航空基地に所属する兵士による犯行だった。
戦後すでに70年近くが経過しているが、沖縄ではいまだに統治下時代の残滓のような事件が後を絶たない。このような状況は、今後どれくらい続くのであろうか。続けざるを得ないのであろうか。
(文=橋本玉泉)